文化・芸術

2017年10月21日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 298


    「今を生きる禅文化」特別展と白隠について

 高知県立歴史民俗資料館の特別展が始まった。初日には、臨済宗有馬頼底猊下の講演があった。これが人気で、予約申し込みは受付初日に満席になったとか。国宝・国重要文化財など、県内外から前・後期併せて100点余が展示されると云う。
 2日目に観覧に行ってみた。地方での博物館事業として、よくぞこれほど内容の濃い立派な展示ができたと、感じた。白隠禅師没後250年記念事業の流れを受けたからこそであろう。
 以前、京都の禅寺をいくつか訪ねていた時、京都文化博物館で「白隠・禅と書画」展にも行った。この禅師は、江戸時代中期の臨済宗中興の租といわれる、破格の人物であったと、いう。展示品を拝見しながら、驚きの連続であった。この展示の図録の中で、解説文を書いた専門家が「驚き、桃の木、山椒の木」と結論づけている。外国人の評論家も「現代西洋哲学の源流」につながる人物だと、高い評価をしている。
 彼は駿河(静岡県原町)生まれ、富士山の噴火等天変地異に恐れを抱き15歳で出家したという。24歳の時、一晩中座禅をしていた時に悟りを持つことが出来たと云われる。その時の気持を「南無地獄大菩薩」と、書き残している。彼の凄さは、禅宗の教えを体系的にまとめただけではなく、庶民の為に仮名書きしたり、迫力のある手紙や歌を書き、禅画や墨書を能くした。なかでもダルマ絵が有名である。(今回の展示で、草流舎の田村さんの「ダルマ絵付」教室も行われる)白隠師は、故郷に近い龍澤寺に道場を設け、生涯をこの地で過ごした。「駿河には過ぎたるものが二つ有り、富士のお山と原の白隠」と唄われるほど有名であった。吸江寺の小林玄徹師もここで厳しい修行をされたと聞く。
 夢窓疎石は、浦戸湾内の絶景を愛し、『碧巌録』より吸江の二字を獲て命名した。草庵の眼前に広がる浦戸湾の風景を中国の西湖に見立て、吸江と名付けた。「吸江十景」を選んでいる。
 佐川町のくろがね窯の竹村脩氏がこの絵を抹茶碗に絵付けしていた。妻がこれを所持していたが、玄徹師に差し上げた。
 浦戸湾の埋め立てが進み、吸江からの眺めもずいぶん変わった。先日の「ブラタモリ」の番組でも可哀想な浦戸湾風景であった。

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2017年10月 7日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 297


        禅文化

 高知県立歴史民俗資料館では、10月14日〜11月26日の間、「今を生きる禅文化展」が催される。
 パンフレットによると、「白隠禅師250年遠諱記念特別展」との副題が付いている。全国的な拡がりのある内容と、それに加えて県内の臨済宗の宗安寺・吸江寺などに関連した仏像や遺品等が紹介されるようで、大いに期待し楽しみである。
 
 二十年程前には、京都を度々訪れた。臨済宗の開祖・栄西ゆかりの建仁寺では、俵屋宗達の「風神・雷神」屏風絵に驚かされた。さらに、本尊を祀る法堂で、びっくり!! この広大な場所の天井絵「双龍図」、画面の大きさは108畳分の大きなものである。栄西は、中国(宋)から本格的な茶の飲み方を伝えた人物である。彼は「喫茶養生記」という一巻を書き、鎌倉幕府の将軍・源実朝に提出。茶は「仙薬なり」と書き、愛飲を勧めている。
 その頃の私は、高知県医師会の依頼で、「土佐医学史」をまとめていたから、大きな励みになった。
 この茶を愛飲する作法が、禅宗に受け継がれ、千利休が大徳寺で作法を完成させた。
 一時期、土佐へも来た夢窓疎石が創建した天龍寺をも訪ねてみた。この寺院は、京都・嵐山のふもとにある。後醍醐天皇の霊を弔うため、足利尊氏が疎石に建立を命じたものである。嵐山の山々を借景に創られた庭園は、見事なものである。この庭を眺めながら、彼が浦戸湾の風景を生かして「吸江十景」を設けて親しんだことを思った。彼は、自然美を生かして作庭することは、よく知られている。 
 彼の偉大さは、京の南禅寺や鎌倉の円覚寺などの造園でも知られる。13,145人もの弟子を育成し、禅宗発展のために尽力したと云う。
 その中には、京の五山文学上位に位置付けられている、土佐出身の義堂・絶海がいる。吸江庵は、禅を学び、修行する場所として注目されるようになり、飲茶の普及に努めて行くのである。

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2017年9月25日 (月)

広谷喜十郎の歴史散歩 296


    チリメンジャコの話

 初夏の香南市赤岡町の1番行事は、大杯になみなみと注がれた1升酒の早飲み大会である。この浜で穫れる鰯の稚魚・ドロメが提供されるから「ドロメ祭り」と呼ばれ、多勢の観光客を集め賑わう。
 鰯の稚魚は、「チリメンジャコ」とか「シラス干し」とか呼ばれる。
 香南市吉川町の浜で、チリメンジャコを製造販売している「土佐角弘海産」では、週に1度だけ乾燥度の異なる4種類のチリメンジャコを並べ自由に、食べたい量・種類を選んで食べられる。運が良ければ、生シラス(ドロメ)も食べられる。
 安芸市西浜の水産会社でも、本格的な加工工場を設けて、「安芸しらす食堂」を開店している。
 来月には、安芸球場のドームで、「第5回全国ご当地じゃこサミット」が開かれると云う。今回は、インドネシアや熊本・兵庫など6県の参加が見込まれていると云う。
 地震対策で、海岸の整備が進み、高い防潮堤が整備される前は、桂浜西・はるの海岸でもチリメンジャコを販売する店が並んでいた。
 美味しいご飯にのったうす塩味のじゃこは、美味しい。
 
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2017年9月15日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 295


     中土佐町の大正市場

 今夏、中土佐町に新しい道の駅が開設された。その直後に、訪ねてみた。大変な賑わいぶりで、食堂の順番待ちは大変であった。
 日を代えて、大正市場の方へ「メジカの新子」を食べにいって見た。こちらも大賑わいで、田中鮮魚店の場合、食堂で「ご飯セット(飯・みそ汁)¥250」を予約し、魚屋でメジカの新子・カツオ等の刺身等を買う。それを大皿に盛りつけてもらい、カツオのハランボは、塩をふっての焼きたてが食べられるようになっている。メジカ(ソウダガツオ)の新子は、この時期しか食べられない。目の前で、捌いた新子のさしみに、ブシュカンをきゅっと絞り、炊きたてご飯で食する。身体中に元気が、満ちてくる。
 このような庶民的な市場の光景が、残っている「大正市場」のことを紹介しよう。
 中土佐町久礼にある大正市場は、明治時代から地元の台所として賑わっていた。ところが、大正4年、大火で大きな被害が出た。それを知った大正天皇から復興費が下賜された。そこで、町民たちは「地蔵町」を改め、「大正町」としたので、「久礼大正町市場」としたものであると云う。この町の通りを歩くと、「久礼てんぷら」・カツオだしを使用した「ところてん」など、親しみを感じる光景が現存している。
 いま、ソウダガツオの不漁が大問題になっている。この魚の節(ふし)から作られる出汁は、うどんやそばつゆに使われる。高知県産は、全国シェアの7割を占めているから、この魚を廻る問題に注目している。
 また、これからは「戻りカツオ」のシーズンになる。これも楽しみである。
 

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2017年9月 3日 (日)

広谷喜十郎の歴史散歩 294

       ボルダリング

 近年、淡路島を何度か訪ねる。息子が連れていってくれるのだが、美味しいお料理を食べて、安く泊まるとの条件を満たしてくれるのが、ホテル・アテーナ海月である。ここは、スポーツ選手の合宿にも使われている。料理旅館のチェーンで、数軒のホテルを持っている。
 ホテルの外壁にボルダリング用設備がある。ボルダリングは、東京五輪で追加競技として採用されたスポーツクライミングのうちの1つ。ロープを使わず、高さ3~5メートルの壁を登るのである。その壁が設置されている。
 なお、我が家の近くの大谷公園にも、ミニボルダリング があり孫が大好きだ。
 かつて、四国から大阪や神戸へ向かうフェリーが運航されていた。大鳴門橋・明石海峡大橋の開通で、高速道路が整備されると、フェリーの役目は終わった。2006年には全航路が廃止された。以来、津名港ターミナルビルは路線バスや高速バスのターミナルとして活用されている。
 津名の港のすぐ傍に、公園や緑地があるが廃墟にちかい。妻が例により早朝散歩に出かけた。その報告によると、廃墟になった公園や河川に弁当パック・ペットボトル等のゴミが散乱している。河口は、ピンク色になった海水が澱み、アオサギが何かを狙っている。と、いう。
 津名は、畿内交通の要所であった。江戸時代には志筑浦(津名)は風待ち港でもあった。風に恵まれれば約6時間で浪花に到着したと言われる(距離は約70㎞)。
 
 その昔、紀貫之はこの沖を通った。綺麗な海であったろう時代に。

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2017年8月29日 (火)

広谷喜十郎の歴史散歩 293

    サルスベリの花街道

 過日、親類から淡路島のホテルのお食事券をプレゼントされた。息子に連れられて、またまた淡路島を訪ねた。食事は、フレンチのミニコースであった。
 高速を下りて、向かう道路がサルスベリの花街道であった。白・ピンクの濃淡の花々が咲き誇っていた。サルスベリは別名・百日紅とも云うらしい。炎天下で華やかに町を彩っている。
 国生み伝承として有名な伊弉諾神宮にも参詣した。正月の初詣りとは異なり、落ち着いてゆっくりと参拝できた。ここにもサルスベリの大木(?)があった。
 日本の古典である「古事記」に、イザナギノミコト・イザナミノミコトによる国生み神話の地とされた淡路島は、昨年「日本遺産」に認定された。それを記念して9月23日が「くにうみの日」と制定された。今年は、これを基に国生みの島「淡路」の神楽舞・日向の神話天孫降臨の舞・出雲の国譲り神話の舞、日本の三大神楽がこの神社で演じられると云う。 
 帰途、四国の高速道で大きな事故があった。吉野川PAでゆっくり休憩を取り帰宅した。夕食は、淡路で求めてきた「あなご飯」となった。(「あなご飯」は、以前紹介しましたネ。)
 花が美しく、耐病性があり、必要以上に大きくならないサルスベリは、中国原産である。花言葉は「雄弁・愛嬌・不用意」である。高知市内でも大きくなり過ぎないので、御座方面の街路樹に植栽されている。白花ばかりである。
 

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2017年8月19日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 291

   愛媛県の魚市場へ行く

 先頃、いの町の寒風山トンネルを通り抜け、西条市の港の水産会社の市場へ行った。西条は、かつては遠かったが、高知市から2時間もかからずに行き着いた。
 と、いうわけで会社が経営している食堂に到着した。番号札を取り、順番待ちの間に市場に並んでいる魚の数々を知ることができた。瀬戸内と云えば「鯛」と思うが、この時期、カンパチ・シマアジなど旬の魚が並んでいる。それを目当ての買い物客も多勢いた。
 私たちのような食べたい客も多く、結構な待ち時間であった。海鮮どんぶりに、山盛りの魚が載っていて、食べる前から圧倒された。刺身は肉厚で、飯の上に数種の魚が鎮座している。

 私は、臨時教員を経て昭和38年に清水高校の教諭に任用された頃のことを思い出す。港近くに下宿していて、自炊生活であった。近所の漁船主の家では、夕方には店を開けていたのでよく利用した。山里育ちの自分が、魚好きになってしまった。
 齢をとり、身体のことを考え、妻の魚好きにも影響されている。孫の肉好きにも付合わねばならないが。

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2017年8月13日 (日)

広谷喜十郎の歴史散歩 290


      気象解説の倉嶋氏逝去

 8月になり、迷走台風に振り回され高知県では花火大会や行事が延期や中止になったりした。
 高知市の花火大会・よさこい祭りは、順調に行われた。
 8月5日、NHK気象解説で人気者であった倉嶋さんが93歳で死去されたとの報道に接した。彼は気象台に定年退職まで勤めていた。そして、NHK気象解説者となり、「ニュースセンター9時」で気象現象をわかりやすく解説し、温かみのある説明で多くの人に支持された。
 その後フリーになり、講演活動など、活躍した。一時期、妻の死で体調を崩したが、その著『やまない雨はない』に、記されているようにそれを乗りこえて活躍した。その成果がフランスの国際気象フェスティバルのベストデザイン賞の受賞に繋がった。

 このところの異常気象・北九州の集中豪雨や迷走台風が気がかりで、倉嶋氏の『暮しの気象学』を読んでいたところであった。そのなかに、ズバリ。「異常気象はなぜおこる」、「ゲリラ型災害」、「集中豪雨の正体」、「異常気象とその対策」、「異常気象にどのように備えるか」など、克明に書かれている。
 1984年に出版されたものであるが、2017年の今日にあっても決して色あせていない。民間学者でありながらの書いたものが生き続けている力量に圧倒される。
 倉嶋さんありがとう。ご冥福をお祈りいたします。
 
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2017年7月29日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 289


     徳島県の神山温泉

 毎夏恒例の家屋内の燻蒸をした。
 その間、旅に出た。3本足であるから、息子の介助のおかげを蒙っている。剣山の東側の山麓のみどり豊かな静かな山里で、徳島市の奥座敷といった温泉宿で心身とも癒された。
 その昔、天女が舞い降りてきたとの伝承があり、含重曹食塩泉である。窓からは、こけら葺きの小屋・水車などを配した情景を作り出している。「神山桜」もたくさん植えられて、豊かな緑色の葉が枝垂れている。手入れがなされたことは、葉の状態から推察できる。花のシーズンには、賑わうことであろう。大阪在住の出身者達が寄贈した桜並木もある。
 日帰り温泉も兼ねた浴場とホテル内にも温泉浴場があり、昼間も朝湯も楽しめる。
 夕食は、近辺の山の幸・川の幸、徳島に近いことから海の幸も。季節感のあるおいしい料理をいただいた。鱧のお椀、鮎の天ぷら(老人に優しい調理がされていた)等。スダチが添えられていたのもうれしかった。
 鳴門教育大の学生・阿波踊り部も合宿していた。 
 すぐ近くには、地域の老人達の集まる共同作業場や喫茶室もある。野外研修公園もある。
 気温は高知とほとんど変わらず、エアコンのお世話になっていた。
 昔、剣山へ2度登ったが、懐かしく思うのみである。


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2017年7月21日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 288

    いの町椙本神社に、皇室ゆかりの絹織物

 今春、いの町の会合に出席した。そこで、宮内庁から頂いた絹織物が神社に奉納されたと、聞きそれを拝見した。すぐに、それが皇后さまの工房で製作されたものであろうと察した。
 皇后さまの工房について調べてことがあったので、ここで紹介しておきたい。
 岡本健児先生の『ものがたり考古学』(高知県立歴史民俗資料館)のなかに記述がある。「正倉院に残る土佐の調」に、東大寺「正倉院御物緑絁大幡断片」という織物がある。それに、「土佐国吾川郡桑原郷(略)天平勝宝七歳十月(略)秦勝国方」と記されている。755年に、吾川郡の郡役人である渡来系の秦勝国方が納入したと紹介されている。桑原郷は、高知市春野町弘岡から吾川郡いの町八田辺りである。八田は、秦との字音に通じるもので、すぐ解る。
 2000年5月愛媛県歴史文化博物館で、宮内省正倉院研究所などの主催による「よみがえる正倉院宝物展」が有り、出かけた。
 復元された「土佐国白絁」が展示されていて、驚いた。
 その後、京都国立博物館で、「特別陳列・皇后陛下ご養蚕の小石丸・正倉院裂復元模造の十年」の展示も有り、見学に出かけた。
 そこには、「土佐国調台絁・大幡」(南倉184大幡残欠)とあった。岡本先生が紹介した絹織物の復元品である。
 このように見ると、先頃、椙本神社へ奉納された絹織物は、皇后さまの工房で製作されたものであろう。椙本神社方面は、古代の大野郷であり、この時期東大寺の支配下にあった記録がある。


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Dscf4421付録、以前紹介した「ホルトの木」の花が咲き出した。下の写真


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