文化・芸術

2017年6月20日 (火)

広谷喜十郎の歴史散歩 285


   浦戸の日和山

 先日、高知市桂浜の龍馬記念館で運営委員会があり、出席した。この場所は、かつて戦国武将・長宗我部元親の居城であった浦戸城の一角である。
 梅雨に入り、天気の変化が気がかりな季節である。この天守の頂上部は、昔の天気予報をしていた天文台跡である。江戸時代に、描かれた『浦戸湾絵図』を見ると、ここは「日和山」とか「燈明台」と記載されている。この山の麓には、「日和見」という人々が住んでいた。彼等は、朝早くこの山に登り、その日の天気の前兆を示す雲の動きなどから天気を判断した。そして、提灯・幟等を掲げ、住民に知らせていた。
 対岸の種崎地区にも日和山があったことは、古地図で確認されている。
 この天気予報の的中率が、月の半分以上であれば、「日和見巧者」と呼ばれていた。7割以上あてた記録が確認されている。


 
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2017年6月 5日 (月)

広谷喜十郎の歴史散歩 284

   高知市の上水道

 私たち高知市民に、水道水を供給している旭天神町の浄水場が「異国情緒」の雰囲気そのままにリニューアルされたと、新聞報道で知り訪ねてみた。
 大正14年4月に完成した建物は、レンガ造りのポンプ塔や六角塔の本館など、当時としてはモダンな洋風建築で大きな話題を呼んだという。
 戦時中は、空襲から守るためコールタール等で黒く塗りカムフラージュされていたと云う。
 戦後昭和22年に江ノ口小学校に入学した妻は、見学に行ったと思うが記憶がない。江ノ口変電所の壁がぐちゃくちゃに黒く塗られていたことを思うと、同様であったろうと。数年前にいった室戸岬の灯台も同様であったから。 

 約400年前高知城下町が成立した折、鏡川に廊中堰を設け、上町に水路を通している。この水路は、現在も残っている。この辺りに、水通町という町が設けられた。
 下町方面は、江ノ口川の水を生活用水として利用していた。飲料水の問題を解決するために、約200年前に町奉行・馬詰親音が井戸を深堀する技術を近江の国から導入している。
 近代になり、大正10年には江ノ口地区に簡易水道が完成している。これが旭浄水場建設に繋がって行く。
 そして今、朝倉の針木上水場が設けられ、日本一の水質を誇る仁淀川からの水も取り入れられている。

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下は、隣の旭天神山公園から見た浄水場全景

2017年5月26日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 号外

 
 メジロは、25日に巣立ちました。なんだか寂しくなりました。

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2017年5月22日 (月)

広谷喜十郎の歴史散歩 283


     虫めづる姫君??

 孫の通う幼稚園では、自然とのふれ合いを大切にしている。「すくすくの森」を持ち、園庭に小さいながらも田圃がある。「しろかきをした」、「田植えをした」と、体験を報告してくれる。浦ノ内湾の浅瀬で海の生き物にも触れる体験にも行ったようだ。

 5月初旬の雨で我が家の庭は、急速にジャングル化してしまった。手入れをお願いしたら、蜂の巣・メジロの巣が現われた。庭師さんが孫さんにとそれをそっと取置いてくれた。
 蜂の巣は、殺虫剤で蜂の殺処分をしてもらったので、幼稚園へ届けた。先生が調べ、幼虫が生きているからとケースに入れて観察教材にされている。
 調べてみると、コダカスズメバチで、巣の形はとっくりをさかさまにしたような、細長い先端が下についたかたちをしている。造形作家の作品のようである。
 もう一つ、金明竹に「メジロ」が巣を作り、子育てを始めた。これも庭師さんがお孫さんにと、保護してくれた。
 孫がご挨拶をし、人との付き合いをするからのことであろう。人は1人では生きて行けない。他人と交わることを徐々に学んで欲しいと、願っている。

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2017年5月17日 (水)

広谷喜十郎の歴史散歩 282

     平尾道雄先生と現代

 昨5月15日に「平尾学術奨励賞」の贈呈式が行われた。選考委員として出席した。この賞は、1979年に逝去された平尾道雄先生を記念して創設された。歴史・考古・民俗分野で優れた成果をあげた県内の研究の研究者を表彰している。大学で専門的に研究している先生方を除外しているのが、特色である。私も第2回目に受賞した。
 今年は、第38回目になる。2人の研究者が選ばれた。平尾先生の精神が現在にまで、生き続けていることを実感する。
 最近は、歴史の面白さを強調した観光宣伝が多くなった。それには、歴史の研究が十分になされた上で、裏付けの積み重ねがなされることが重要である。
 平尾先生の遺志を受け継いでいく研究者が育ってもらいたいものである。
 会が終り外に出ると、南の空に虹と何か不思議な現象!!  
 16日付の新聞によると、「環水平アーク」(虹)と太陽の暈(ハロ現象)だそうだ
 お茶目なところもある平尾先生だったから、様子を見に来たのかな。とも、思った。

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2017年5月 6日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 281

     IT時代

 世の中が浮き立っているゴールデンウィーク。人並みに休暇を得た次男が老骨を連れ出してくれた。
 宿毛・宇和島方面へ。懐かしい足摺の海を見たり、妻の昔の教え子に再会した。
 翌日、宇和海に沿って北上した。宇和島湾に面した港にある「回天寿司屋」で昼食。寿司ネタは、以前に訪ねたとき同様新鮮で美味しい。驚いたことは、注文方法。以前同様書いたり、声かけも出来る。が、席にあるタッチパネルで注文する。高知市内でも先日食事に行った店で、この方式であった。
 我が家のパソコンとプリンターの接続も無線LANである。私には、全く手も足も出ない。
 30年程前、図書館の職員であった時分のことである。工学部の学生であった長男が、我が家の書庫の整理にも、図書館の本の整理にもIT化が必要と奨められた。提案をしてみたが、同僚の猛反対でボツ。我が家の書庫も未整理状態。これは、何とかせねばならない。
 今では、銀行員が小型の機器を提げて来て契約したりする。携帯電話とパソコンは、不可欠な時代になった。化石人間になったことは情けないし、仕方がないだろう。

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2017年4月24日 (月)

広谷喜十郎の歴史散歩 280

      鯉のぼりの季節
 
 花散らしの雨風が強く、桜の季節が一気に終ってしまった。
 近所の農家の庭先にどっしりした2基が作られていた。長い孟宗竹も用意され、準備完了?であった。鯉が泳ぐのを待ちかねていた。
 22日、待望の鯉のぼりが上がった。からからと金属製の風車もまわっている。もう1つの竿には、縦のぼりで家紋がつき、大きな赤鯉と金太郎が描かれている。
 この辺りも、農地が少なくなり住宅街になってしまった。男の子が生まれたよ、元気だよと、お家の喜びが発信されているようだ。
 澄みきった空には、トンビが輪をかいて飛んでいる。

 四万十町十和の川渡し、佐賀町のカツオのぼり、いの町仁淀川の川に泳ぐ鯉、各地で競ってアイデアを出し進化している。
 商店街では、フラフで初夏らしさを演出している。
 
我が家では、5才の孫が朝顔の種まきをした。カツオが美味しくなったし。

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2017年4月 8日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 279


近所でお花見

 先の日曜日、近所の大谷公園でお花見をした。5才の孫がよく行く公園を皆に紹介したく、ママのお誕生日も兼ねて計画した。
 先日食事会をした折、貰ってきたパンフレットにより妻がお弁当を注文した。花粉症の孫は、専用めがねをかけながらも走り回って、皆に公園を紹介し楽しんでいた。
 
 朝倉といえば、女性天皇・斉明天皇を祀る朝倉神社に因んだ地名である。国立高知病院の前の鵜来巣から針木集落辺りまで、海であったと云われる。「乙女湊」など地名があったこと等からも理解できる。やがて、海岸線が後退して人家や水田耕作も行われるようになるが、湿地帯故の苦労が多々あったようで、何かと語り継がれている。
 昔は、「網代谷川」と呼ばれていた。この地の開発に伴い、大谷団地が出来、公園が設けられた。
 この公園には、遊具も各種あり、手入れもされている。

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2017年3月31日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 278


古代ムラサキ草の復活

 今年の賀状の中に、四万十町の蕨川正重さんからのものが無く、心配していた。寒中見舞いのハガキが届いた。昨年10月に、90才で亡くなられたとのことであった。
 蕨川さんとの付き合いは長く、『十和村史』をまとめていた折から、何かと教示されることが多かった。
 私が、万葉集のロマンを伝える「古代ムラサキ」の復活に火をつけた。それを実地に実現して「ムラサキ草」を栽培してくれた人である。
 江戸時代前期、野中兼山が公布した掟書のなかに「幡多郡や高岡郡の山中に、ムラサキ草があるからこれを増殖させよ」と命じている。この自生地は何処だろうか。十和村あたりだろうか。蕨川さんにお願いした。
 以前、元牧野植物園長であった故・山脇哲臣さんからこの草の存在を伺ったことがあった。かつて、四国カルストで1本だけ見たことがあるが、絶滅危惧植物で見たことがないとされていた。
 蕨川さんから連絡が有り、十和村の山奥に自生地があると聞き驚いた。そこから採取した種を自己所有の畑に播いて育て、その種子を植物園や各地の篤志家にも分けている。
 蕨川さんの遺志を受け継いで、成果をあげて欲しいと願っている。
 
「紫は灰さすものぞつば市の八十のちまたに逢へる子や誰」万葉の時代,紫根染めをさりげなく詠み込んだ歌が、奈良県桜井市三輪山のすぐ近くに残っている。(今東光筆の歌碑が建立されている。)
 
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2017年3月21日 (火)

広谷喜十郎の歴史散歩 277

    またまた淡路島へ

 次男がまたまた淡路島へ連れていってくれた。加齢に加えて体力が衰えたのを案じて、休日に遠出をさせてくれる。
 この連休には、淡路島の穴子料理を食べにいった。あなごの天ぷらは、四国内でも食べられるが、「地産地消の贅」を看板の「あなご弁当」を食べに行った。
高知では、うなぎの蒲焼きというところである。以前に、名古屋のすし屋であなごの1匹のった寿司を試みたことはあったが、椎茸を混ぜ込んだ飯に鎮座したあなごはなかなか美味しかった。
 美味しいものには人が群がるから、食するためには忍耐がいる。
 心身が満足し、帰途についたら、道路沿いの紀伊水道の海面がピンク色だ。車を停めてみると、ゴミが散乱。産廃ではなく、個人的なゴミ投棄だ。心の慚愧が求められる。
 我が古里・地球を守ろうではありませんか。

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