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2018年5月22日 (火)

広谷喜十郎の歴史散歩 319

    ご飯や

 今回も高知市生まれの妻・雅子が書きます。
 前にも書きましたが、私の祖母は担ぎ婚で祖父と一緒になりました。そこで、生活をするため煮売屋を始めたようです。祖父は、多分漁師の末裔であったらしい。お墓を見ると、曾祖父の墓があるから、曾々祖父が漁民であったと思う。曾祖父の弟・叔父とその妻などの墓がぐちゃぐちゃ。何でかな?と思っていたが、納得した。遭難した曾々祖父を祀るためには、遺骨が無かったのではないか。

 父祖の地を離れ、新開地・愛宕町に移り住む。そこで生まれた祖父は、高等小学校まで進む。そして妻を娶るが、食べることを考え、煮売屋を思いついたらしい。つまり、ご飯やである。今思うと、祖母はかなり賢かったようで、現実に相応し、自分の立場を堅実に歩んで行ったようだ。夫婦で商売をし、愛宕街道で、桑市が立つのに合わせて、煮売りやを始めた。土佐山から桑の葉を売りにくる人に昼ご飯を提供する「ご飯や」である。そして、魚・料理を提供する仕出し屋になった。
 戦時中、疎開先に土佐山を選んだのは、伝手があったからであろう。土佐山に、桑尾という地区もある。
 非日常に使うものは、早く疎開させたり、庭の池に埋めたり、明日の朝運ぶ物は、荷車に載せていた。当時、4歳であった私も覚えている。明日、疎開先へ向かうため、私の履く藁草履も作られていた。
 空襲警報で目覚め、母の帯から作られたリュックサックを背負い愛宕町から三谷を越え、土佐山村網川へ向かった。江ノ口変電所辺の田圃では、多くの人が布団を被りながら、水路に浸かって倒れていた(多分死んでいたのだと思う)。
 頑張った私は、褒められ、「頑張ること」は良いことだ。と、植え付けられた。

 私は、祖母に仕込まれてお料理は、得意ではある。三度三度は、片付けも大変なので昼食は、ご飯やを利用することが多い。うどん・そば・ラーメン屋もあるが、ご飯とおかず、汁物を堤供する店が多くなった。熱々の卵焼きは人気商品である。


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