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2018年2月18日 (日)

広谷喜十郎の歴史散歩 309

    堺事件と祖母のこと(2)
 今回も妻の雅子が書きます。
 
 先頃、義姉と高知歴史民俗資料館へ「堺事件」の展示を見にいった。

 祖母の話は、私にだけしか知らないことであった。祖母にとっては、哀しい恥ずかしいことであったろう。

 昭和22年に高知市立江ノ口小学校に入学し、ピカピカの「デモクラシー」教育を受けた身にとって、理解できないことが多かった。巷では、「女のくせに…」が横行していた時代である。
 祖母は美少女であったが故に、担ぎ婚により町家の小倅の妻となった。私が大学を卒業し、山間部の僻地校に赴任することになった時、その地には「夜這い」の風習があると聞き、猛反対した。私は、失業の身となった。
 現代でも、哀しい事件が多々ある。

 歴史民俗資料館で、西村左平次の陣笠についた血糊・当時の短剣を見たとき、すごく悲しい気持になった。曾祖父・小坂彦之進は病死であろうが、幼い2人の娘を残して死ぬ時、どんなにか辛かったろう。    
 この時代の女は、ご祐筆という職業婦人であった祖母の叔母でさえ名前は記録に出ない。叔母は夫・西村左平次の死と共に、実家・小坂家に帰って来たと思われる。「子無きは去る」の時代である。女については、家族か身内が記さなければ歴史上「無」である。もちろん、曽祖母の名も行方もわからない。
 現代、かかあ天下・ハチキン、何といわれようが実力を持って、生きて行くことができる。孫娘も立派なハチキンに育ちつつある。
 今、幕末〜明治を生きた元ご祐筆の『叔母さん』に会いたい。

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