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2016年8月12日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 251

      野中兼山記念公園を考える

 昨年は、野中兼山生誕400年にあたっていた。
 藩政初期、兼山は二代藩主の信任を受け全藩的規模で、大規模な土木工事を行った。仁淀川の八田堰・物部川の山田堰等々。室戸港や手結港などの開発を行い、藩の財政が豊かになる基礎を作ったが、あまりにも急速的な改革であったため、不満が起こった。他の家老たちがそれを受けての上申書が出され、失脚した。
 兼山は、藩主・山内家の縁戚にあたり筆頭家老でもあった。「野中婉の会」の須田氏が提唱し、春野町公民館で会が持たれただけであった。市教委が若干後押しをしたが、残念であった。全県下で兼山を考える動きを期待していたが、ほとんど話題にもならなかった。
 
 最近、「地方創成」と言う声が高くはなっている。その種まきを行った兼山の時代にその視点を置くと、材料が沢山ある。NHK高知放送局のプロジューサーから兼山をテーマに製作してみたいとの相談があった。いくつかの問題提起をしておいた。その番組に期待している。
 高知城の表門、追手筋西端堀川渕に「野中兼山邸跡」の碑がある。「野中兼山の屋敷は、県立図書館・文学館を含む広大な一角で2,280坪と記されている」(土佐ボランテイア協会)。お堀の内側の住んでいたのである。
 県立図書館に勤務していたから、その周辺に兼山邸の遺跡を物語るものがいくつか出土していた話も聞いている。
 近く、図書館が撤去されるそうだから「野中兼山記念公園」と名付けた公園にしたらと思う。が、以前からその話はあり、立ち消えになっている。
 兼山の母親を埋葬してある墓の本山町「帰全公園」には、兼山の立派な銅像があり、シャクナゲも植栽されている。
 高知城内に縁の公園があってもよかろうと思う。
 
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  帰全公園の野中兼山像
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