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2016年8月 6日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 250

     土佐は酒国あれこれ

 先週、高知酒造組合の第13回「土佐酒アドバイザー研修会」の講師として参加した。「土佐酒造りの歴史」をテーマに話した。
 この会合は、2〜3年毎に開かれている。初回から講師を務めている。受講生は、年々若い人が増えている。しかも、女性が多くなってきている。時代の変化を感じる。
 酒造りの歴史は、千年余の記録がある。それを一時間位での話で…と云うことで苦労した。土佐酒の特色は「淡麗辛口」と言われている。瀬戸内方面の甘口の酒と比して辛口は解るが、なぜ「淡麗」なのか。
 今上陛下がまだ皇太子であらせられた時に、大学の恩師と共に夕食に招かれた。その席で、「元気な酒ですね」と仰せられた話を紹介した。
 日本の古代を代表する文献に、かつては仁淀川を「神河(三輪川と唱う)」とあり、この河川の水で作られた酒を土佐の大神・土佐神社に貢納した。と、ある。ここで、奈良の三輪山の紹介をした。「一夜酒」の風があり、高知市介良の朝峯神社では、今でも(税務署の許可を得て)造っている。
 さらに、京都・嵐山の麓にある松尾大社は、渡来系の酒の神である。仁淀川沿いの土佐市の松尾八幡宮や高知市鴨田の松尾神社があり、かつては酒造家から厚く信仰されていた。
 平安時代(10世紀)に、この二つの系統の酒造りが統合されて、日本酒の原型ができた。
 中世末期になると、奈良興福寺『多聞院日記』に、火入法(低温殺菌法)による我国独自の清酒造りが始まったと、記録されている。興福寺の末寺・正暦寺には、「日本酒発祥の地」の大きな碑がある。
 
 土佐でも17世紀には、寒造りや先進の醸造法が向上した。坂本龍馬の先祖の才谷屋が大金持ちになった話につながる。
 享保9年(1724)、江戸幕府の著名な江戸町奉行・大岡越前守は、土佐と東北3藩の留守居役を呼び、各藩から産出される杉が高騰し、酒の価格が高くなったので、警告を発している。そこで、〈酒樽を造る杉のことは(略)江戸上方の売酒に適用する樽は(略)近年伐りつくして此頃は遠山で仕成し、流材その他で経費がかさむ〉と応えている。此の酒樽を運ぶ千石船を樽廻船と呼び、杉の移り香の酒が江戸の人々に、愛飲されたという。
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     奈良三輪大社内で
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