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2016年7月21日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 248

      土讃線の開通

 日本の鉄道の発達には目覚ましいものがある。最近は、外国の鉄道にもその技術を売り込んでいる。
 1964年(昭和39)10月1日、東京〜新大阪間に東海道新幹線が開通した。10月10日〜の東京オリンピック開会に間に合うように、工事が行われた。

 1889年(明治22)5月23日 香川県議会議員の大久保諶之丞が讃岐鉄道開通式での祝辞で瀬戸大橋の架橋を提唱した。1955年(昭和30)5月11日 、 国鉄連絡船紫雲丸による紫雲丸事故。(修学旅行中の高知市立南海中学校生徒など死者168名)事故後、香川県議会が「宇高連絡鉄道建設促進に関する意見書」を国に提出した。
 1978年に工事が始まり、1988年4月10日に瀬戸大橋が開通した。鉄道の上が自動車道で、本州と四国が陸路で繋がった。高知県民の喜びはこの上ないものであった。この開通直前3月21日、高知学芸高等学校1年生は始めての中国への修学旅行に出発した。そしてあの事故に遭遇した。橋が開通していたなら、日程は違っていたろうと…。
 
 ここで、時代を少し遡ってみたい。四国山地を越える土讃線の歴史の方を少し見てみよう。明治中期頃から計画されていたが、本格的に建設が進められたのは、大正9年のことである。十市村(現・南国市)出身の白石直治が、この工事の主唱者の一人である。彼は、東大教授を経て、実業家となり、日本各地の鉄道工事に参加していた。やがて、衆議院議員となり、四国での鉄道開発の推進者として情熱を傾ける。当時の「カミナリ総裁」こと鉄道院総裁・仙石貢(高知市出身・後の鉄道大臣)は、四国での鉄道建設にあまり乗り気ではなかった。それを熱意を込めて説得した。
 険しい四国山地に遮られ、トンネルが百箇所余の難工事で停滞気味で、ようやく鉄道が開通したのは、昭和10年のことである。陸の孤島から解放された。それを記念して、昭和12年「南国大博覧会」が鏡川河岸で催された。連日、大勢の人々が詰めかけ大いに賑わったという。

 名古屋駅の新幹線列車
Dscf1404

   高知駅前の土讃線開通記念碑
Dscf3694


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