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2016年7月 6日 (水)

広谷喜十郎の歴史散歩 246

        七夕飾りとカジノキ

 (今回は、少々茶の心得のある妻の雅子が書きました。)
 20年程前、京都の著名な塗師が茶道雑誌に、その月に因んだ植物の図案を連載していた。その由来も併せての1ページは楽しみであった。
 7月は「梶の葉」で、七夕の短冊のことが書かれていた。「カジクサ」のことだと思っていたら、少々違う。いろいろ調べていくと、あのシーボルトが、誤ってというか「楮」にkazinokiという学名をつけたという話もある。どちらでも繊維の採りやすいことが大切だったのであろう。
 正確には、コウゾはカジノキとヒメコウゾの交配によって生まれたものである。彼方此方走り回って調べ、行き着いた先は「牧野植物園」。「カジノキ」と「コウゾ」が隣り合って植えられていた。カジノキの葉の触感は、イチジクの葉の近い。梳毛が密生している。コウゾは桑に似ている。カジノキの葉は、墨の乗りもよく字が書ける。
 カジノキの葉は、紙を漉く技術が発達していない時代に、高価な紙の代わりに、使われたのであろう。
 近所の森林総合研究所四国支所の見学会で、『百樹趣向』という本を見つけた。「奥州白石紙すき唄」が紹介されていた。〈こうぞ植えらば 虎斑のこうぞ 殿も奨める紙の原料 紙のもと 春は裸で 夏綿入れて 秋に肥らせ 冬に穫る…〉この唄の内容は、白石紙は原料としてコウゾではなく、カジノキの繊維を使うこと。それも雌株・虎の緒(虎斑)と呼ばれるのを使う。と。
 白石和紙は、丈夫なことから文化財の修理用としても使われる。東大寺のお水取りのときの僧侶の装束にも。歌舞伎では零落した人物を表現する衣装(実際はしっとりした絹の衣装である)として。
 当代・坂田藤十郎は、近松門左衛門の作品を復活上演するにあたり、白石和紙で作った紙衣に、高名な画家に絵を描いてもらい衣装とした。
 戦国武将たちも紙衣に柿渋を塗ったり、金欄、摺箔、緞子の裂を付け桃山好みの美服にした。明治以前、木綿がふんだんに使われる前は、庶民も軽くて柔らかく加工した紙衣を愛用したようだ。

 カジノキの正体を尋ね回っていたら、「家の女紋は(カジ紋)で、お諏訪様(諏訪大社)からお嫁に来られたおばあさまが持って来たもので…」という話を聞いた。新緑の季節を待って、諏訪を訪ねた。
 諏訪大社は、上社本宮(諏訪市)・上社前宮(茅野市)・下社春宮(下諏訪町)・下社秋宮(下諏訪町)と、文字通りの大社である。
 元来、カジノキは御神木であり、神霊が宿るといわれてきた。神に供える食物をこの葉に盛ったという。  
 


 


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