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2016年5月27日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 239

    宇和島の和霊神社

 先日、宇和島市方面の史跡を訪ねた。その一つ、和霊神社へ行った。そこには、四国内でも代表的な石造りの大鳥居と格式のある立派な社殿がある。主祭神は山家清兵衛。その一族6人が合祀されている。
 神社の「由緒書」によると、清兵衛は、宇和島藩・藩祖伊達秀宗の家老で、藩政改革を実行させ成功させた。が、〈一部の藩士から妬まれ反感をかい、遂に元和6年6月29日の夜彼等一味の兇刃にたおれた(略)其の後清兵衛公を(略)承応2年6月24日山墳和霊神社として奉祀した〉とある。
 この神社は、海の守護神としても祀られるようになった。夏祭は、四国の三大祭りの一つで、賑わう。なお、三大祭とは「金毘羅宮」「久礼八幡宮」とされている。
 竹内荘市著『鎮守の森は今』の高岡郡四万十町六反地にある「和霊神社」の条に〈清兵衛は、藩の政争により殺され、妻のスミはこの地で死んだ〉というので、享保5年(1710)に宇和島から勧請されたものであるという。
 その後、和霊信仰は民間に広まり、四万十町十和地区で2ヵ所、黒潮町・宿毛市・津野町にもこの神社があるという。高知市神田、高野にもこの神社がある。神田地区の神社は、坂本龍馬の本家の才谷屋の八郎直益が立山神社を宝暦12年に創建した。そこに、宇和島から和霊神社を勧請したものである。やがて、地元民も数多く参詣するようになり「和霊神社講」まで組織され、時には団体で宇和島の本社にまで参詣に行くこともあった。この神社の古い寄進札には、神田村を中心に鴨部・潮江の人々の名が連記されている。この和霊神を才谷屋や坂本家では、守護神として祀り、篤く信仰していた。
 龍馬が文久2年3月24日に土佐を脱藩する時、神田の吉野へ花見に行くと。と、家を抜け出し、この神社で祈願したと伝えられている。昭和60年は、龍馬生誕150年に当る。3月24日に「脱藩まつり」の祭典が開かれた。以後、毎年行われている。
 宇和島市の和霊神社では、毎年7月23〜24日に夏祭りが行われる。同時に「うわじま牛鬼まつり」が7月22〜24日まで行われる。 山家清兵衛を祀る和霊神社で行われる祭りは、恨みを残して亡くなった人の霊を鎮める御霊信仰に基づいている。

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    商業施設に飾られた牛鬼の模像
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