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2016年4月 8日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 231

    松花堂昭乗と松花堂弁当

 前回は、京都・石清水八幡宮について書いた。今回は、何年か前そこを二度も訪ねたことのある妻の雅子が書きます。
 石清水八幡宮は、京都の桂川・宇治川・木津川が合流して大河・淀川になる合流点の小高い山・男山にある。
 中腹に、松花堂昭乗(1584~1639)が晩年を過ごした草堂があった。訪れた時には、礎石のみが残っていた。たった2畳つまり1坪の中に、茶室・水屋・久土、持仏堂をも備えていたらしい。ここに、詩仙堂の石川丈山や小堀遠州・木下長嘯子・江月・沢庵などの文人墨客が訪れ、文化サロンの様だったと伝えられている。
 昭乗は、農家が作物の種子等を入れるために使った「田」の字形に仕切った箱をいくつか手許に置き、絵の具や薬・種を入れるのに使ったという。

 昭和初期、この箱に目をつけたのが大阪の料亭・吉兆の主人湯木貞一氏であった。これを器に茶懐石の弁当を作るようにとの注文が入り、「松花堂弁当」が始まった。(彼は1988年 文化功労者となる。)
 湯木貞一氏は、25才の時、不味公(松江藩主・茶人)の茶会記を見て、大いに驚き〈目のウロコが落ちたといいますか、私の料理に対する目を開かされた(略)本気になって、料理にとっくむ氣になったのです〉。〈お茶事を催そうとする前に、まず大事なのは、主客とも自分の健康を管理する(略)〉と、例をあげて述べている。昔、お茶を齧った身に痛く響くことばが並んでいた。そして、〈小さい台所でも、いつも明るい陽がさしていて、キチンと整頓して、気持よく料理ができるようになっていることも、よい料理のできる条件ですね〉。ガツ〜ン。
 作る・食べるだけでは、駄目なわけだ。
 暮しの手帖社の大橋鎮子氏が『吉兆味ばなし』をまとめる時の土曜日の夜のことを述べている。アイスクリームも何か水菓子でも…と言われたが、お店には何も無かって恐縮されていたようです。日曜日お休みだから当然ですね。と。

 私は、日を置いて味の変わったものを食べさせられて、困ったことが2度もあります。吉兆の姿勢には、感心しました。おいそれと食べに行くことはできませんが。大阪・心斎橋にランチのお店があって、一度ちょこっと食べたことがありましたが。
 お料理大好き人間ではあるが、反省の気持ばっかりになってしまいました。

  某デパートのチラシより
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