« 広谷喜十郎の歴史散歩 228 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 230 »

2016年3月24日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 229

    愛媛県今治を訪ねた

 先の日曜日に、二男に連れられ、仁淀川沿いの道を遡り県境の寒風山を抜け、愛媛県今治へ行ってきた。
 暖かい日で、彼方此方ヤマザクラや菜の花が咲いており、和む気分になった。春本番!?
 年齢を重ね足腰は弱り、妻は免許返納したので遠出は夢のようなことである。息子に助けられ、彼方此方を訪ね土佐との繋がりを意識しながら考えることが多くなった。
 今治は、「しまなみ海道」の拠点である。素通りしたことは、何度かあったが、市街地の中心部を訪ねたのは、始めてである。
 海水を引き込んだ豊かな堀をめぐらせた今治城・天守閣や付随する建物が復元されている。広大な造りには、圧倒されるものである。
 この城は、江戸初期に徳川家康の側近であった藤堂高虎が設けたものである。寛永12年(1635)に松平(久松)氏が入城し、以後明治維新まで続いた城である。
 かつて、今治市郊外にある志島ヶ原(国名勝)の浜を訪ねたことがある。菅原道真ゆかりの綱敷天満宮がある。道真が太宰府へ左遷される途、燧灘で嵐に遇う。里人らに助けられて、漁網を敷いての人々のもてなしに、感謝して梶柄に自像を刻み名乗った。
 ここの境内に、黒松の老大樹3,000本が茂っている。『愛媛県の歴史散歩』(山川出版)によると、〈明治維新期には伐採の危機もあったが、松山藩を預かった土佐藩の英断により免れた〉とある。この話は、明治元年4月明治政府の意向を受け、土佐軍が松山方面へ進駐したことに繋がる。そこで、土佐側の指導者が善政をおこなった話が、語り継がれている。
 
 
Dscf3471


Dscf3479


« 広谷喜十郎の歴史散歩 228 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 230 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/583888/63384444

この記事へのトラックバック一覧です: 広谷喜十郎の歴史散歩 229:

« 広谷喜十郎の歴史散歩 228 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 230 »