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2016年2月17日 (水)

広谷喜十郎の歴史散歩 224

    天蚕による染織家の展覧会

 高知市横内の星ヶ丘アートヴィレッヂで、「菊美代子nuno展」が開催されていることを知り、出かけてみた。
 『高知新聞』によると、菊丸さんは87才の染織家で、〈野生の蚕「天蚕(てんさん)」から取れる(略)素材に糸を紡ぎ、草木染め、機織りなど一連の行程を一人でこなす(略)独特の光沢を放ち、手触りも柔らか〉と。独特の豊かな世界が150点も展示されていた。
 
 土佐において、いつ頃から絹織物が導入されたか調べてみたことがある。考古学者・岡本健児氏が『高知県史・考古資料編』で、奈良・東大寺正倉院に吾川郡司の秦勝国方がのぼり旗(幡)の布地を755年に奉納した記録があると紹介している。吾川郡大野郷に、東大寺の支配地があった。それが、現在のいの町八田から高知市春野町方面にかけて秦氏の居住・支配していた可能性が高いと指摘している。八田(はた)の地名の訓みが秦(はた)と同じなので注目される。
 『神道事典』の松尾大社(京都)の条に、〈秦氏は絹織物や酒造の技術を伝え〉とある。吾川郡の秦国方の支配下にも職人集団が居り、正倉院へ絹織物を奉納したことは、容易に考えられる。
 正倉院には、吾川郡から奉納された絹織物が保存されている。それを確認するために、御物展を見に行った。
 京都の国立博物館には、美智子皇后陛下の工房で正倉院御物の布を復元されたものが展示されていた。
 土佐では、古代村落のなかに、「布師郷(安芸市)」という職人集団が居住していた場所がある。高知市の土佐神社の近くにも布師田という地名がある。また、秦泉寺という所も気になる。
 このように考えていくと、菊丸美代子さんの織物の世界は、何かと教えられることが多かった。
 最近は、日本の伝統文化が忘れられることが多くなった。菊丸さんの技術が継承されていくことを念願する。

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