« 広谷喜十郎の歴史散歩 222 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 224 »

2016年2月12日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 223


    朝鮮伝来の豆腐とカシきり豆腐

 日本人の食生活において、今では豆腐は、当たり前の存在である。
 その豆腐づくりのルーツについて、料理研究家・永山久男氏の著書によると、〈中国で発明され、日本で育った豆腐(略)もっとも有力なのは、奈良時代から平安時代にかけて〉だという。千年前から始まったと云われるが、当時は精進物という観念から仏教の伝播と共に利用されてきた。と、諸書に紹介されている。
 ところが、土佐での豆腐づくりが始まったのは、仏教とは何の関係もなく朝鮮から直接、約400年前の江戸時代初頭からだとされる。
 文禄の戦役の時、長宗我部元親が朝鮮慶尚道の秋月城主・朴好仁ら30人余を連れてきて、浦戸城下に居住させた。
 慶長6年(1601)に山内一豊が入国し、好仁らも高知城下・鏡川沿いの武家屋敷に隣接する場所に移り住み、城下町づくりに参加した。唐人町と名付けられた。今もこの町名は現存している。
 そこで、町内では68座の豆腐づくりの専売特許の権利を受けたといわれる。宝永5年(1708)の『町中御掟』によると、豆腐の製造は唐人町以外では認められなかった。
 一方、かしの実(ドングリ)は、救荒植物として利用されていた。江戸時代前期の藩主の法令などで、かしの実の収集を奨励されている。当初は、ドングリの実を石臼で粉にした物であったろう。それが、いつの間にか豆腐のような造りになり、庶民の食料になったと思われる。これには、水に浸けたりの渋抜きが大変だった。
 実は、戦中・戦後の一時期、私も祖母と共にカシの実豆腐を作った経験がある。現在も安芸市の山間部でボツボツ作られている。
 30年程前、朝鮮料理研究家・鄭大聲氏が来高された。彼によると、土佐料理のなかには、韓国料理が色濃く残存していると指摘された。カシ豆腐やブリの刺身等に使用されるニンニク葉の「ぬた」が韓国伝来の可能性があると、考察されていた。
 最近、南国市での韓国料理店が「カシ豆腐」を復活させたいと試作品を作っており、その一部を頂戴した。原料の粉は韓国製であり、味は餃子のたれ風であった。これも日韓交流の一助になって欲しいものである。
  
Dscf3369


Dscf3389


« 広谷喜十郎の歴史散歩 222 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 224 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/583888/63200769

この記事へのトラックバック一覧です: 広谷喜十郎の歴史散歩 223:

« 広谷喜十郎の歴史散歩 222 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 224 »