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2015年12月19日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 215

   干支が現代に生きている

 12月も半ばになると、年賀状の取り扱いが始まる。干支に関した動物を図案化した切手が主役となって登場してくる。
 干支は、西暦初期前後に中国で生まれた考え方がまとまったものであるといわれる。やがて日本に伝わり、「十干 十二支」となったとされている。
 『国史大辞典』(吉川弘文館)の干支の条によると〈古くは「支干」といい、「えと」と俗称する。幹枝の意。甲乙丙丁などの十干と子丑寅卯…などの十二支と組み合わせた六十干支の年・月・日を用いた〉とある。
 そこで、思い出すのは我が家の町名表記は、「戊」であった。表示変更がなされず、未だに甲乙丙丁などの町名が用いられている所もある。
 高校野球で有名な「甲子園」は、大正13年に建設された。この年が「甲子」でそこから命名されたと云う。阪神タイガースの本拠地でもある。 
 年末が押し詰まってくると、酉の市も思い起こされる。
 先日の高知新聞社の文化教室で、香美市の大川上美良布神社に、干支と四神像を描いた絵馬が奉納された話をした。四神像は、昭和43年に発見された高松塚古墳内の壁画が大きな話題になった。
 西岡秀雄氏の『方位のはなし』(北隆館)によると、〈相撲の土俵の房にも残るように、東が青龍、南が朱雀、西が白虎、北が玄武となっている。天皇陛下が相撲をご覧になる場合は、「君子は南面する」の言い伝え通り、土俵の北側(玄武)から行事のいる南側に向かって、玉座つまり御座席がしつらえられる〉。
 龍は架空の動物ではあるが、土佐市の四国霊場の青龍寺がある。京都の大禅寺に、龍の天井画が描かれている。

高松塚古墳の玄武
 
Dscf3285

大川上美良布神社の天上絵の原画
Dscf3037


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