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2015年8月18日 (火)

広谷喜十郎の歴史散歩 198


  龍河洞とウナギを食べない人々

 今夏は、猛暑続きで毎日辟易している。広告のチラシには「ウナギ祭」など称して、これでもか、これでもかと宣伝している。
 高知県下に、絶対にウナギを食べない人々がいる。妻の知人にもいたそうだ。グループ大勢で、高知では有名ウナギ店へ食事に行った時、大正生まれの人が一人だけ別メニューだったという。
 
 承久3年(1222)、土佐に配流された土御門上皇は、(現)香美市逆川地区にある龍河洞に立ち寄った。その時、小蛇が出て来て、この洞穴を案内した。と、いう由緒で、入口に小蛇を祀っている龍王神社がある。
 昭和10年に刊行された『龍河洞誌』(龍河洞保護会)によると、その下方の東山集落に、上皇に仕えていた原権七郎の霊を祭神とする小社があると、記載されている。龍河洞の洞穴がある地名を小田(おだ)というのは小蛇(おだ)によると言う。龍王神は、雨乞いに霊験があらたかであるらしい。東山集落の人々は、日照り続きには参詣したという。それが、霊験あらたかであったらしい。
 この谷間には、たくさんのウナギが生息していたが、大切に扱い、決して食べることは無かった。この伝来を今も受け継いでいる人も居るようだ。
☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆
 ここからは、ウナギ大好き、戦後の食糧難時代をウナギで生き延びてきた妻が書きます。
 明治一桁生まれの祖父は、夕方になると久万川・紅水川へ大きな網と「ずずぐり」を持って出かけた。「ずずぐり」とは、ミミズを細い竹ひごを針にし、木綿糸に通し長いミミズ紐を作る。これは、幼児であった私の仕事であった。これをボール状にまとめ、棹の先につける。
 朝になると、祖父は帰ってきていた。祖母が大きなまな板に、千枚どうし(目打ちではなかった)で、目をついてウナギを固定し、小さな包丁で頭の方から一っ気に背開きにする。骨もサ〜と下ろす。七輪の上の網で焼く。たれは、ウナギの頭を入れて砂糖、しょうゆ味である。骨も同じく焼いて、美味しかった。
 遠来の客へのもてなし料理でもあった。
 この頃、四万十川などでのウナギ漁が紹介されるし、道の駅などで漁に使う細長い籠(しかけ)も売られている。が、我が家のウナギ漁は、ミミズ紐でおびき寄せる法であった。
 美味しかったよ。


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