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2015年7月 2日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 191

   野中兼山と日下川

 高知市西方の日高村へ出かけてみた。村の中心部に近い南側にかなり広い池がある。池を見下ろす高台に、「月の庭」と名付けられた村の総合運動公園が設けられている。
 池の入口には、「日高の川を美しくする会」の大きな案内板がある。〈洪水調整を目的にした内陸型湿地と言われるもので14ヘクタールあり、県内一の大きさです。池には貴重な水生植物や昆虫・淡水魚・水鳥など、たくさんすんでいます〉など記されている。
 ここには、「メダカ館」の建物もある。
 運動公園で作業をしていた方々の休憩時間であったから、興味深いお話を伺った。以前この方面を取材したこともあり、いくつか尋ねてみた。
 「歴史が今でも生きている」との思いが、強く感ぜられる言葉が返ってきた。

 江戸時代初期、家老・野中兼山は、春野平野・高岡平野を全面的に水田化しようとした。仁淀川本流に、八田堰や鎌田堰を設けた。鎌田堰のすぐ上流の日下川では、大変なことになった。大雨が降ると、川水が逆流して低湿地帯の村は、洪水の常襲地になった。稲作が出来なくなった。
 地下の世話役や庄屋は、度重なる水害の被害軽減のため、上田を隠して藩庁へ報告したことがある。それが発覚し、3人が斬首の刑を受けた。村民は、彼らの霊を「秋森若宮神社」に祀った。現在でも秋祭りで供養している。
 以前から、この村では兼山の評判は悪かった。
 作業員の方々に、今はどうでしょうか? と、尋ねたところ、口々に「とんでもない人物だ」と興奮気味に答えが返ってきた。
 稲作が出来なかった時代は、代作として紀柳栽培が行われた。これは、ヤナギコウリといわれ、衣装箱や弁当箱などが造られた。長男は暮も押し詰まって生まれたが、ヤナギコウリが簡易ベッドであった。
 
 
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