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2015年6月25日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 190

    紀貫之の古今集の庭を訪ねて

 高知新聞社の文化教室で、「木の文化史」をテーマに話をした。
 その中で、大豊町の定福寺には「万葉植物園」が有り、南国市には『土佐日記』で有名な紀貫之邸趾がある。紀貫之邸趾には、「古今集の庭」と名付けられた庭園があることを紹介した。
 何故この場所に古今集ゆかりの庭園があるのだろうか?
 「土佐の国府」のパンフレットによると、延喜5年(905)に〈醍醐天皇の勅を中心とした選者4人により編纂された1,111首の秀逸した作品からなり、日本人の詩的感性の世界を示している(略)貫之の業績と顕彰に因んで「古今集の庭」と名付け、地域に合いふさわしい平安時代をモチーフに曲水などを配し、古今集の和歌32首を掲示し、その草木を植えたコーナーを設け〉たというのである。
 なお、この庭園は平成13年に造られている。
 以前、開園当時に訪れたことがあるが、周辺の様子が変わり「道の駅」でも尋ねたが、担当者はご存じなかった。(ちょっと、驚き??)
 近くの「国府郵便局」に冊子があるとの案内板に出会った。「国府史跡をめぐる」冊子を買い求め、パンフレットは頂いた。国府史跡保存会の作成で、事務局はJA南国市国府支所であった。
 古今集の庭を訪ねた時、庭師が手入れ中であった。「ここの手入れは大変です」とのこと。
 庭にある草木に関した歌32首が小さな掲示板に記されていた。
 せめて、貫之の歌をと思い探し出して、少しばかりメモしたが。32首の歌を一覧表にし、地元の中学校での教材になさっては?と、昔教師は思ったものである。
 日本の代表的な古典文学の1つである『古今和歌集』を通じて、古の人がどんな思いで、自然に接していたか、思って欲しい。
 『土佐日記』と共に、素晴らしい教材である。

 
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