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2015年6月18日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 189

    河童神と水天宮

 エンコウの前身である河童について、問い合わせがあったので、今回は河童伝説がいつ頃から生まれたのか。それに関連する神社がどこにあるのか。紹介しておきたい。

 川口謙二著『宿なし百社』の「河童の神」の条に、〈河童川太郎と普通呼ばれている。オカッパ頭に水の入った皿をのせ、ぬるぬるした肌で、くちばしのある童子像〉とあり、土佐のエンコウと全く同じものであるといえる。
 河童神としては、北九州市門司区大積にある天疫神社境内にある河童の総元締・海御前さまが紹介されている。この海御前さまは、平家の勇将・能登守の奥方で、壇ノ浦の戦で一門の人々と共に海に沈んだといわれる。後日、遺体は近くの乙女山に葬って供養した。それが全国の河童神の総元締となり、そのおかげで河童の被害が無くなったと言う。
 同じ九州の久留米市にある水天宮の祭神は、安徳天皇と天皇の母・建礼門院(二位尼)で〈水徳の神、安産、水難除けの神として信仰がある(略)筑後川には、むかし九千坊と呼ばれる河童の総大将がいた(略)猛威をふるい人々を困らせていたが、水天宮の祭神にさとされ服従して(略)神使となり、名前も福太郎と称えるようになったと言い伝えている〉と、ある。
 この安徳天皇も壇ノ浦の戦で、入水したと言われるから、この時期(約800年前)あたりから、河童伝説が急速に広まったらしい。勿論、諸説あるのは言うまでもない。

 広江清氏は、『近世土佐の宗教』の中で、高知市上町3丁目の水天宮を紹介している。
 この神社は、元・通町1丁目の久万家の先祖が九州の水天宮を勧請して来て、自宅の屋敷内に祀ったのが始まり。現在地の鏡川沿い辺で何かと怪しげなことが起きたので、久万家にお願いして移したと言われている。
 
Dscf2871

この絵は、愛宕中学校の生徒たちによる 冊子の表紙絵

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