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2015年6月 4日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 187


   えんこう祭

 6月になり、早速梅雨入りとなった。
 『土佐の四季と俳句365日』(高知新聞社刊)の「えんこう祭」の条によると、〈南国市前浜・久枝地区で行われる川祭で6月の第1土曜の夕刻から始まる。後川の川べりにショウブの葉で祭棚が組まれ、えんこうの好物のキュウリ(略)が供えられる。この祭は子供たちが主役で(略)たくさんの提灯に灯が入り、それが川面に映えて美しい夏の風物詩となる〉と紹介されている。
 この祭は、かつては高知市でも行われていたが、南国市稲生の河泊神社で行われるだけになったようである。
 広江清著『近世土佐の宗教』によると、森芳材の「日禄」の文化3年(1806)の6月16日の条に〈夜猿猴祭故 橋へ見物に参る。拾弐、三年振ニ見物ニ参ル処、殊外にぎにぎ敷事也〉と、鏡川河原でのえんこう祭を紹介している。江戸時代中期辺りから盛んになったと言う。
 『神威怪異奇談』に、「水虎(カハタロウ)の皿」の話や『白頭雑談』には〈下田村の里談を聞ニ(略)猿猴祭今為す(略)小祠ハ(略)漂須部明神とて水神を祭る〉という記録もあると言う。
 この「漂須部」とは、九州の一部で河童のことを「ヒョウスエ」と、呼んでいたのに通じるという。

 中央の文献の安永4年(1775)の『物類称呼』では、〈土佐国の土佐土民は「ぐはたろう」また「えんこう」ともいふ〉とある。
 藩の記録である延享3年(1746)の『土陽渕岳誌』では、河童として登場する。河童駒引の伝説が語られている。「水天狗・圓光坊」なる守り札にもなっている。

 いま、河川史と結びつけ、エンコウを考えている次第である。

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