« 広谷喜十郎の歴史散歩 185 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 187 »

2015年5月28日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 186

   波川氏の悲劇と養甫尼

 吾川郡いの町の「かんぽの宿」のある高台から西方の山々に目を向けると、NHKのアンテナが立っている小高い山が目につく。
 戦国時代に活躍した波川玄蕃の城跡のある山(172m)である。彼は、長宗我部元親の妹を妻にしている程、元親の側近として活躍する、すぐれた武将であった。突然、彼が謀反を企てた罪で切腹させられた。天正8年のことである。
 これに対して、一族と家臣の250人余が納得しなかった。元親軍の3,000人と戦い、ほとんどが討ち死にしている。近くの本願寺の境内の墓地には、その戦死者たちを埋葬した墓があり、その悲劇を今に伝えている。
 元親により滅亡した後、玄蕃の妻は、養甫尼として仁淀川の対岸・成山に閑居していた。甥の安芸三郎衛門が世話をしていた。
 そして、流れ者の新之丞から朱善紙系統の製法を学ぶ。苦心の末、三郎衛門と共に七色紙の製法を創成に成功した。

 やがて、長宗我部氏が滅亡したので、紀伊国の高野山へ行ったと、伝えられている。
 なお、京都の石庭で著名な龍安寺は、波川氏の流れをくむ義天和尚が創建した寺院である。と、調べたことがある。


Dscf2851

Dscf2855


« 広谷喜十郎の歴史散歩 185 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 187 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/583888/61647000

この記事へのトラックバック一覧です: 広谷喜十郎の歴史散歩 186:

« 広谷喜十郎の歴史散歩 185 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 187 »