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2015年5月22日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 185


   高知市の水分(みくまり)神社

河川問題の研究家・天野礼子氏は、平成11年に『川よ』(NHK出版)を刊行している。その中に、「森は海の恋人、ならば川はその仲人」という項目を設けている。
 私は、「土佐史の神々」を毎月書き続けている。今月号で347回になった。最初に書いたのが、「川の主の怒り」(昭和60年12月号)である。
 土佐における海とみどりと川(水)の文化史のようなものをまとめたいと思い、機会ある毎に、個別的な問題を掘り起こしながら書き続けている。
 6月の高新文化教室で、「えんこうとしばてんの河川史」の話をしようと準備をしているところである。
 
 20年程前、桜の名所で有名な奈良県の吉野山へ行った。花の咲く直前で、空気がグレージュのような感じであった。奥吉野は、もちろん人出もなく、静かであった。歌舞伎の「義経千本桜」の舞台になった山である。運転手の妻は、まるでジェットコースターみたいとおかんむりであったが。
 この山が、水分山と呼ばれていて、「ミクマリ」と発音しているが、「ミズクバリ」が、つづまったものである。水を分配する神を祀っている意だという。国重要文化財指定の水分神社がある。
 ミクマリは、山頂部にあるのが一般的であるが、山麓を散策してみると、大きな鎮守の森のなかに存在しており、周辺の水源池的な存在を示していた。

 この「ミクマリ」は、古代の大和言葉なので、『高知県方言辞典』に は出てこない。
 高知市にある「どろんこ祭」で有名な若宮八幡宮の境内社としても存在する。由緒書きによると、祭神は「天水分大神(水の神、灌漑の神)」とある。〈当社の向(むかい)山の山中に旱天にも涸れることのない湧水があることから、元々大水分神(略)を祀った。この辺り一帯の産土神ではなかったか〉と説明板に記されている。

 高知市朝倉から春野地区へ向かい、荒倉トンネルを抜けると、右側の山の麓に、通称「権現さま」といわれる小社がある。鳥居には「天水分神社」の扁額がかかっている。神社は、池の中に浮かぶかのように鎮座している。この池には湧水で満たされ、周囲の地区に流れ込んでいる。

 各地に、このような場所を示す地名があったりするので、訪ねて行きたいと思っている。

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