« 広谷喜十郎の歴史散歩 183 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 185 »

2015年5月14日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 184

    怪力・仁淀川次郎兵衛

 昨今、高知県出身の関脇・栃煌山や豊ノ島関が幕内上位にいて、頑張っているのは、頼もしいかぎりである。
 高知県は、かつては相撲王国といわれる程、横綱・玉錦をはじめ名力士を輩出してきた。明徳高校には相撲部があり、遠方からも生徒を集め、話題性のある力士を育て、国技館に送り出している。
 とにかく、土佐人の相撲好きは有名であるが、ここでは「仁淀川次郎兵衛」のことを紹介しょう。

 仁淀川橋西詰・土佐市中島に、仁淀川次郎兵衛の手型と足型の石碑が建っている。正面には「其先祖勢州森本城主後当国元親君仕然後百姓成」とある。先祖は長宗我部元親に仕えていた武士であるという。右面には「左右ノ手八斗持舞 世人称無並者相撲不能負鬼神名」とある。一俵は4斗であるが、一度に4俵を両手に提げ、それを振り回すことができたという。
相撲を取れば、負け知らずで、皆が「鬼神」と名付けていたという。左面には、「文政九丙戌九月吉日生年七十歳建立」と刻記されている。
 彼の身長は、1.91m。掌は、24cmもあったという。碑文が物語っているように、怪力であった。
 或る時、川で魚をとっていた。雨が降ってきたので、7mもある舟を傘代わりに、頭上に掲げて帰ってきたので、皆びっくり! という逸話が残っている。
 表面には、「二淀川次郎兵衛」と刻記されている。その頃は、仁淀川ではなく「二淀川」であった。
 かつて仁淀川下流域では、洪水がたびたび起き、流域の人々は苦しんだ。そして、堤防工事には多くの人力が必要であった。彼のような怪力の人物は、重宝されたことであろう。彼は、仁淀川の申し子のような存在であったろう。
 
 写真は仁淀川橋の南詰めにある彼の手形の入った石碑の写真です。鉄条網で囲ってあり、かなり苦労して写しました。左側の碑に、手型と足型があります。


Dscf2837


Dscf2841


« 広谷喜十郎の歴史散歩 183 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 185 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/583888/61572918

この記事へのトラックバック一覧です: 広谷喜十郎の歴史散歩 184:

« 広谷喜十郎の歴史散歩 183 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 185 »