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2015年4月18日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 180

   高知城と石垣造りの穴太衆

 先頃、滋賀県大津市のホテルに宿泊した。朝食のレストランは、琵琶湖と比叡の山並みが一望できる場所にあった。
 過去に2度程訪れた風景を懐かしく思い出した。中でも山麓の坂本地区は、高知城と結びつく石垣造りの達人が住んでいる。今回も、大津市の知人とも坂本の穴太衆について話をした。

 4月6日付『高知新聞』に、「名城の石垣技術海外へ・穴太衆(あのうしゅう)高知城も築く」との大見出しの記事が報道された。
 〈自然石を利用した石積みの美しさと堅固さが特徴だ(略)技術を現代に継承する業者が(略)積極的に海外で行ってきたPRが実り、米国から初の注文を受けた〉というものである。
 坂本地区にある日吉大社へ参詣した折、門前近くの立派な石橋を渡った。この橋は、一枚板状になっている。これは国の重要文化財であることを知り、大きな驚きであった。ここの門前町のあちこちに、穴太衆が積み上げた立派な石垣がみられた。
 穴太衆の石垣は大小の野面石(のずらいし)を駆使して積み上げたり、奥行きの長い石を用いるのが特徴である。これは堅固であり、今も全国各地の有名な城にみられる。

 高知城築城の記録によると、築壁頭は穴太衆の北川豊後で、百五十石を支給されていた。
 石材は、浦戸城を取壊したものを船で江ノ口迄運送し、他に周辺の久万・万々・神田・潮江・朝倉などから取り寄せている。
 そして、慶長8年に本丸・二の丸の工事を完成させた。慶長16年には、三の丸を仕上げている。この三の丸の工事は城の近くにあった「中高坂山」の小丘を崩して、その場所に土盛りをしたので、ここの石垣積みは、大変な工事だったろう。
 この城の地は、江の口川と潮江川(後の鏡川)に挟まれた場所であるから、城下町づくりも大変だった。両河川工事でもかなり石積みが行われているのでので、穴太衆の技術が生かされたのであろう。
 高知城は、400年前からの面影を今でも伝え、鷹城と異名をもつ名城として、多くの観光客を集めている。

 なお、近くに、この城の築城奉行として活躍した百々越前守の屋敷跡がある。そこは、現・越前町となっている。

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