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2015年4月29日 (水)

広谷喜十郎の歴史散歩 182


     岡山県の閑谷学校跡が日本遺産に

 土佐藩政前期、藩財政の危機状態に対応したのが、家老・野中兼山である。
 彼は、大がかりな治水工事や港湾開発などを行い、大きな業績をあげた。今年は、彼の生誕400年に当る。

 ほぼ同時期に、岡山藩の池田光政に仕え、同じような業績をあげた「熊沢蕃山」のことが思われる。
 私が担当している「高知新聞社の文化教室」5月講座で、この話をしたいと準備をしている。
 『高知新聞』4月24日付の夕刊で、18項目のグループが「日本遺産」に認定されたと報道された。そのなかの「近世日本の教育遺産群」の一つとして〈庶民教育の場であった旧閑谷学校〉も認定された。
 この学校については、以前から興味を持っていたので、10余年程前に見学に行った。
 広大な敷地内に、基本的な施設等が保存されながら利用されている。この学校の創立精神が今も生かされている。
 この学校は、藩主・池田光政による日本最古の庶民教育の場であったとも言える。藩士の子弟のみならず、有能な庶民の子弟、他藩の子弟達をも教育したという特色がある。
 学校は、藩財政から独立させ、原則的に学校林や学田の収益で運営されていた。これは、藩主が他藩へ国替えさせられても、学校運営が継続できるようにとの配慮であったと言う。これは、城下町から遠く離れた静かな山里・すなわち閑谷の地に「郷学」を学ぶ場所を設けたのである。

 この学校建築に寛文10年(1670)から30年余かけている。『岡山県の歴史散歩』(山川出版社)によると、〈総延長765m余のかまぼこ型の石塀(国重文)に囲まれたなかにある。この石塀は高さ約2m、幅約1.8mあり、切石の表面をきれいにあわせて積み上げ、全体に丸みをおびたつくりで(略)草木が生えないように工夫されている〉という光景は壮観である。
 学校の講堂(附、壁書1枚、丸瓦1枚)と学校関係資料4,041点が国宝に指定されている。
 その他、孔子を祀る聖堂、光政公を祀る閑谷神社などの23棟が重要文化財となっている。この場所全体が特別史跡にも指定されている。
 聖堂の前には、学問の木といわれる大きな楷の木がある。秋には紅葉し、この大木の赤く染まる様は見事であり、沢山の人々が訪れ、賑わうようである。

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