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2015年4月11日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 179

    牧野博士ゆかりの桜

 我が家の「カイドウザクラ」は例年より多くの花をつけ、2週間程楽しませてくれた。
 牧野博士は、早くから日本中を花に包まれた世界にしたいと考えていた。著書『続・植物記』の中で、〈東京全市を桜の花で埋めよ〉とか〈日比谷公園全体を温室にしたい〉、〈花菖蒲の一大園を開くべし〉等、スケールの大きな発言をしている。
 〈明治35年、当時まだ東京に多く見るソメイヨシノ桜が土佐には無かったので(略)その苗木数十本を土佐へ贈り、其の一部高知市五台山(略)に、また其の一部を我が郷里の佐川に配った〉と書いている。「花咲か博士」なのである。

 そこで、牧野先生が明治末期に桜の苗木を贈ったという五台山を訪ねてみた。
 山全体がソメイヨシノの花盛り。平日にも関わらず、多勢の花見客が訪れていた。
 ここは、四国霊場31番札所でもあり、遍路姿の人びともお大師さんと共に花を愛でている。

 ここに、昭和33年牧野植物園が開園し、だんだん整備された。県内外から訪れる人も多い。ことに春は、桜を愛でる人が多い。牧野先生が高知県の花にすべきだとお薦めの「センダイヤザクラ」の大木も満開の花を咲かせ、賑わっている。
 郷里の佐川町へも桜の苗木を贈り、ここも桜の街になっている。
 他にも、ソメイヨシノの名所は、日本各地に広がっている。先生の夢は見事に実現されたわけである。

 晩年の博士の〈わたしたちの住む地球はみどりの植物でおおわれ、美しい花が咲き乱れている素晴らしい星です。このすばらしい星に生を受けたわたしたちは、大いに感謝しなければなりません(略)人間の知恵は文明を築いて来ましたが、決して完全なものではありません(略)ユリの花一つにしろ(略)とうてい人間がつくり出すことの出来ない造物主の傑作なのです。つまり人間があたまを下げざるを得ない造化の妙なのです〉(『牧野富太郎植物記(一)』)という言葉をかみしめたい。

 満開のソメイヨシノ
Dscf2767


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