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2015年3月22日 (日)

広谷喜十郎の歴史散歩 176

    大山崎の地を訪ねて

 大津市からの帰途、大阪と京都の境界・大山崎を訪ねた。
 ここは、豊臣秀吉と明智光秀が戦ったことで知られる古戦場跡である。天正10年(1582)、本能寺の変で織田信長が光秀により討たれた。
 秀吉は、急いで毛利氏と和議を結び、軍を東へ向けた。そこで光秀側は、京都の入口・山崎の地で迎え戦う。が、負けて敗走中に、光秀は農民に討たれる。
 この地に妙喜庵(待庵)がある。千利休が秀吉に従軍していた折に、造られたという茶室があり、国宝になっている。水の質が買われたれたことであろう。

 なお、坂本龍馬の祖先は、光秀の一族であるとの説がある。
 幕末、京都御所・蛤御門での会津・薩摩の連合軍と長州の戦いの際、追い詰められた長州と土佐などの脱藩志士たちが、山崎の天王山の山頂近くで自決している。なお、この戦で直接戦死した土佐人は、6人であった。そして、天王山で自決した土佐人は、松山深蔵・千屋菊次郎・能勢達太郎・安東真之介の4人である。

 上りJR東海道線(在来線)で京都へ向かうと、左手にサントリーの工場群が見える。この背後の山が天王山である。芥川賞作家・開高健が壽屋(現・サントリー)宣伝部に在籍した折、彼の創ったキャッチコピー「人間らしくやりたいナ」が有名になった。
 ウイスキーとは、「生命の水」を意味する言葉が語源だそうだ。
 この地は、桂川・宇治川・木津川が合流するため、豊富な良質な地下水に恵まれる。更に、湿潤な気候がウイスキーづくりに適していた。サントリーの創業者・鳥井信治郎が1923年に蒸留所建設に着手した。(トリイサンからサントリーになったという)創業時は、壽屋と言ったらしい。

 NHKの朝ドラ「マッサン」の主人公は、ニッカウイスキーの創始者・竹鶴政孝をモデルに描かれ好評を得ている。彼が、若い時に修業した場所はこの山崎であったという。

 幕末に、この地で若い勤王武士の数多くの命が散ったことも思い起こして欲しい。


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織田信長の派手好きが昂じて作られたとされている「赤こんにゃく」。三二酸化鉄で着色されているという。
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