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2015年3月20日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 175

     琵琶湖を訪ねた

 国民の義務である納税者として、昨年のノートから諸々拾い出してやっとのことで申告書を提出した。
 子供達が幼い頃、私たちを支えてくれた人が大津市に住んでいることがわかり、訪ねた。
 
 近江にある琵琶湖を中心とした史跡は、土佐との繋がりも数多くよく訪ねたものである。古代ムラサキから『万葉集』の額田王と大海人皇子(天武天皇)との相聞歌の蒲生野地を訪ね、今も親しくしている家族もいる。
 惟喬親王と木地師の里・永源寺町の奥深い里をも訪ねた。戦国時代には、近江の長浜にいた山内一豊がこの地の多賀大社を篤く信仰していたので、私も参詣した。一豊は、土佐藩初代藩主になり、高知城築城の折、近江・坂本の石垣造りの穴太衆を多数雇用している。日吉大社近くの坂本を歩いて石垣塀の通りを歩いたものである。その他数回湖国・滋賀を訪ねた。

 今回は、琵琶湖畔にあるホテルに2泊し、風景も堪能した。私は河川の研究もしているから、以前に琵琶湖博物館なども訪ねている。その頃から外来魚類が増えて、ワカサギ・コイ・フナなどの生息に大きな影響を与えていることが気になっていた。
 沿岸の方々に、青い幟が立てられている。妻が早朝の散歩に出かけた。それは、外来種魚類の回収箱であったと言い、湖畔の散歩道は人の足に優しい舗装であったとも言う。散歩の人、外来魚を釣り上げる人静かな賑わいであったようだ。
 
 帰宅して、『高知新聞』(3月15日付)を見ると、〈外来魚・回収箱が効果、琵琶湖ピーク時が半減〉の見出しの記事があった。
 以前「MOTHER LAKE 400年の記憶、1000種の生命、そして1400万人を潤す水、母なる湖・琵琶湖。あずかっているのは滋賀県です」と、このポスターを妻は(滋賀県から送付頂き)、教室に掲示していたら、他教科の先生から求められたと言う。
 琵琶湖は、水源としている関西人だけではなく、日本の宝水であるとの意識が求められている。

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湖畔の夜明け太陽が昇る
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