« 広谷喜十郎の歴史散歩 172 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 174 »

2015年2月26日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 173


    高知市浦戸の宇賀神社

 高知市浦戸の浜辺には、一領具足の碑がある。そこから少し西に進むと、宇賀神社に行き着く。社殿の背後には、糠塚という宇賀長者伝承にまつわる小丘がある。
 大昔、この辺りに住む宇賀長者は、沢山の年貢米を取り立てた。その時、捨てた米糠が小山になったと伝えられている。
 このような長者伝承は、全国各地に流布している。なかでも、文豪・森鴎外の『山椒太夫』は有名である。

 昔から近くの長浜に住んでいたという宇賀長者の屋敷跡には、莫大な埋蔵金が隠されているという伝承がある。「朝日輝く、夕日輝く、この萩の下に黄金千両、漆七桶」という歌が残されている。
 長浜の地にも宇賀神社が鎮座している。
 さらに、ここの近くの浦戸湾内でも長者伝承が語り継がれている。また、海の神を祀る深浦神社もある。
 長者伝承は、幾つもある。宇賀長者は、伝承的人物とはいえ、極めて気になる存在である。
 長浜の宇賀神社は、古代に中央政府から正式に認められた格式の高い神社である。それは、「国史見在社」として位置づけられている。『高知県史・古代中世編』によると〈『日本三代実録』のなかにみえるもので神位授与に関するもので(略)時期は貞観年間(859〜870)から元慶年間(938〜942)にかけて〉と、記録されている。
 浦戸地区は、土佐国の玄関口であり、昔から多くの船の出入りがあり、繁栄していた場所であった。
 したがって、宇賀長者は海の豪族として、海人族を支配していた海の長者であったと思われる。

 中世には、此処から日本を代表する大船頭の篠原孫左衛門が登場する。 さらに、戦国時代に土佐を統一した長宗我部元親が、この地に浦戸城を造ったことからもこの地の重要性がわかる。

 このように見てくると、浦戸地区がかつて土佐を代表する港町として繁栄したことを物語っている。そのシンボル的存在として宇賀神社があったと考えられる。


Dscf2652


« 広谷喜十郎の歴史散歩 172 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 174 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/583888/61199309

この記事へのトラックバック一覧です: 広谷喜十郎の歴史散歩 173:

« 広谷喜十郎の歴史散歩 172 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 174 »