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2015年2月 5日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 170

   立春と土佐文旦など

 旧暦では、節分の翌日に当たる日を立春という。
 『俳句歳時記』(角川書店)では、〈節分(冬)の翌日に当る。暦の上では、この日から春になるが(略)地域的には月にずれがあるので、必ずしも暦と並行していない。しかし、暦によって立春の感情が整えられることは確かで、寒気のなかに早くも一抹の春色を覚える〉とある。
 春が立つとか春が来るということを春の気配を感情的に求めよと言われても、すぐに春の気分になれるものではない。
 この時期、新聞紙上で大豊町の山間部で咲いている、純白の雪のなかから頭をもたげた福寿草の写真が紹介されると、春が来たなという気分になる。

 この時期、黄色に輝く果物・文旦がスーパーマーケットなどの入口に、山積みにされている。糖質に富み、香り高い土佐文旦がよく売れているようだ。
なぜ「土佐」を冠した果実であろうか。
 昭和2年、鹿児島の「法元文旦」を高知県農事試験場園芸部長の渡辺恒男氏が導入し、改良した。「改良文旦」の誕生! 
 私の住んでいるすぐ近所に、高知県農業技術センタ—果樹試験場がある。昭和4年に設置された試験場前にブンタンの木があった。これが増殖されて、土佐文旦になった。が、残念なことに昭和37年に枯死した。
 昭和18年、この原木から増殖した苗木を土佐市戸波(へわ)の宮地家が貰い受け、苦労の末育て上げた。この話は、地元の新聞に連載されて本にもなった。
 それを後代に伝えるべく「土佐文旦発祥の地」の記念碑が建立された。昭和の時代には、改良文旦と呼ばれていた。戸波出身の知人は、「改良文旦」を誇らしく思っていたのだろう。「改良文旦」が口癖になっていた。
 朝倉地区は、新高梨で有名であるが、土佐文旦もたくさん栽培されている。

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高知市朝倉の高知県農業技術センタ—果樹試験場に残されている改良文旦の原木移植作業の写真
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