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2015年1月18日 (日)

広谷喜十郎の歴史散歩 167


 高知市の朝倉神社(2)

 高知県外の方から、朝倉神社の「朝倉」地名の由来について尋ねられることがよくある。
 九州にも朝倉神社があり、愛媛には朝倉の地名がある。
 かつて、九州の朝倉神社へ参詣した。そこが斉明天皇ゆかりの場所であり、そこで逝去された。これは、『日本書紀』に記述されている。
 同天皇が、直接土佐を訪れた証拠はない。高知市朝倉地区には、朝倉郷という古代村落があった。大和(奈良)との繋がりを示す歴史的事実があることから、朝倉に天皇来訪伝説が生まれた可能性は高いと考えられる。現在でも、大和言葉で示す地名が数多くある。朝倉とは、天皇家ゆかりを示す地名であることになる。

 朝倉神社は、723年の奈良時代の『土佐国風土記』逸文や、901年の平安時代の『延喜式』神名帳で、中央政府が認めているように格式の高い神社となる。       
 竹崎五郎著『高知県神社誌』には、〈国内年中総祈願即ち山川海祭、地鎮祭、火鎮祭等の如き、土佐神社と交替し祈白する所〉と述べているように、土佐では土佐神社と並んで代表的な神社となっている。
 明暦3年(1659)、二代藩主・山内忠義が神社を再興した。江戸初期のものではあるが桃山時代様式の華麗さをもつ神社建築で、本殿は国の重要文化財に指定されている。(前号の写真)
 この折の再興を祈念して、兵庫の六甲山麓産の御影石を取り寄せ大きな石灯籠を寄進している。十数年前、この石灯籠に刻記された文言を読むことを依頼された。その説明板は、灯籠脇に建てられている。

 夏祭りには、参道の頭上に地元・米田地区などの氏子たちがそれぞれ櫓を組み、絵金・河田小龍の大型絵をずらりと並べ、その下を参詣人が行く様は壮観である。
 秋祭りの神輿の行列行事(市の民俗文化財)は、多くの人に福を授けながら賑やかに行われる。
 地区の人びとは宮司を中心に、赤鬼山のある広大な鎮守の森を守り続けている。

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