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2014年12月25日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 164

  土佐はサンゴ王国(3)

 明治時代になり、封建的統制が撤廃された。
 明治7年、高知市在住の福島喜三郎が幡多郡貝ノ川(現・土佐清水市)を基地にして、本格的なサンゴ採取の事業を始めた。
 その後、採取網の改良が進み、明治23年頃から隆盛を極めた。同33年に採取船1,667艘で、14,640キロの水揚げという最高の記録を残している。
 その動きを反映し、イタリア人がサンゴの買付けに幡多郡の漁村に直接現われた。幡多郡の亀井唯次郎等は、神戸でサンゴ貿易を行ったりしている。
 やがて、サンゴ資源の減少に伴い、昭和初年には採取現場は台湾近海へ移行していった。
 それも束の間、戦争のためサンゴ網取業は中断してしまった。
 戦後、昭和30年頃には、奄美諸島近海でサンゴ漁場が発見された。さらに、東南アジア方面のミッドウェイ海域や南シナ海でも大規模な漁場などが発見された。そして、深海のサンゴ開発が可能となり、我が国のサンゴ業界飛躍の基礎となった。
 サンゴは南海の水深100mから1,000までの海底から産出されるもので、1cm伸びるのには数十年の歳月を要するという。
 その色合いによリ、赤・桃・白に三大別される。その中間色を「ボケ」という。サンゴの代表的な色は、桃色で優美な感じである。濃い血のような色合いのものは、「血赤」とよんで貴重品として珍重視されていた。ボケと血赤は、主として土佐沖で採取されている。
 
 昔のサンゴは「胡渡り」といい、外国からの輸入品であった。「七宝」の一で、人間の手の届かない仙境の国からもたらされるものと、信じられていた。
 やがて、江戸時代に入ると、サンゴの細工物が出まわるようになった。原木のカットから艶出しまで20工程もあり、丹念な手作業の繰り返しで根気のいる仕事であった。
 現在は、サンゴは真珠と並び、世界に誇る海の宝石になっている。
 昭和50年頃の全国のサンゴ生産は、約100億円といわれた。内8割が、高知県の約200業者に生産されていた。約20億円が海外へも輸出されていた。
 最近は、赤サンゴの原木が減少しているので落ち込んでいる。
 なんとかサンゴ生産の復興を期待したい。

Dscf2573

昭和48年読書感想文課題図書になった本です
Dscf2574_2


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