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2014年11月14日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 157


  土佐和紙の恩人・吉井源太

  江戸時代後期、吾川郡伊野町の「御用紙漉き」の家に出生した吉井源太。伝統的手法を踏襲するのみの生産性の低さに目を向けた。そして、万延元年(1860)大幅紙漉器を考案した。
 また、中世から高級紙と名高い岐阜の典具帖紙に目を向け、その改良に挑戦する。試行錯誤を続け、明治13年(1880)には、厚さ0.03ミリという「土佐典具帖紙」を創造する。強靭な楮繊維を原料とする土佐典具帖紙の優美さは、他に比類無く、名声は国内外に広まった。この用紙は「カゲロウのはね」とも言われた。世界的にも注目を浴び、タイプライタ—原紙として好評を得、海外への輸出の花形となった。
 さらに、彼はインク止紙・楮・ミツマタ・ガンピを混合し漉いた郵便半切紙・謄写版原紙・原画謄写用紙など38種にも及ぶ新製品を造り出した。また、防虫のため米糊に代え、白土を採用したり、紙質の改善をも図った。
 そして、研究成果を集大成した『日本製紙論』を明治31年に、東京の出版社から刊行している。
 明治18年、アメリカの万国博覧会に装飾紙・吸墨紙等を出品し、1等賞に輝いている。その他、国内外の展覧会・博覧会でも数多くの賞を受ける。
 彼の果たした功績の大きさを物語っている。

 土佐和紙は、昭和51年に国の伝統的工芸品に指定された。昭和60年3月、長い伝統を持つ土佐和紙の技術を残し、後継者を育成するための研修施設「土佐和紙伝統産業会館(紙の博物館)」が、いの町に開館した。そして、「土佐和紙工芸村」の施設もつくられた。
 
 今年、「日本の手漉き和紙技術がユネスコの無形文化遺産」に登録されることになった。細川紙(埼玉県)・本美濃紙(岐阜県)・石州半紙(島根県)である。
 日本の3大和紙といえば、美濃紙と越前紙(福井県)と、土佐和紙である。なぜか越前紙と土佐和紙が抜かっている。
 平成26年10月3日付『高知新聞』によると、文化庁の担当者は〈技術伝承の保護措置が担保されていない。重要無形文化財に保存された保存会があるかどうかの違い〉と説明している。土佐和紙にも個人の技術が重要無形文化財に認定されている人がいるが、保存会がないからだという。
 今後の検討課題であろう。
 
写真は、2歳の孫に典具帖紙を顔の前に持たして、その繊細さを出して見た。1枚しかない紙をどうにか・・・

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