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2014年10月24日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 154

    碁石茶街道を行く(2)

  昔は、新宮町からカーブのきつい急坂を通った。今は、高速道を走る。やがて、四国中央市の川之江の市街地へ到着する。
 市内の旧街道を訪ね歩くと、各所に「土佐街道」と刻記された石碑が建っている。中でも、上分町の松月庵には、「槍下げの松」(市指定文化財)がある。
枝が道路へ大きくはみ出している。参勤交代の折、槍持ちが邪魔な松を伐ろうとしたところ、藩主はこれを押しとどめたところからその名がついたという。
 JR川之江駅近くに、藩主の宿泊所を示す「御本陣跡」と「土佐藩陣屋跡」と2つの石碑が建てられている。
 この本陣跡近くには、土佐藩御用達菓子と明記した大きな看板を掲げた柴田家の菓子店が現存している。現在も土佐藩御用だったことを誇りに、おいしいモナカ菓子を作っている。
 また、城山公園近くにある土佐藩の代官所跡がある。「松山藩・土佐藩代官所跡」と刻記された石碑がある。明治維新の政変の折、松山藩の所領であった川之江が土佐藩の支配地となったのである。土佐藩の役人が善政を行った話が語り継がれている。廃藩置県の動きが起きると、川之江の有力者たちが高知県へ入りたいとの血判した嘆願書を中央政府へ提出したほどである。
 この川之江へは、土佐から碁石茶が数多く移出されていた。川之江藩の財政資料によると、茶の税金は雑税の5割以上を占めていたという。その茶の全ては、土佐側から仕入れ、今治や広島の尾道方面にまで売り捌いていた。
 茶の取引高は、約4,000貫程であった。幕末には「茶山株」が22株認められ、茶問屋は茶貿易からめの大型船を保有していたと、言われている。
 
 また市内にある八幡神社には、13代土佐藩主が寄進した立派な大石灯籠がある。

槍下げの松
Dscf2491_3

土佐藩御用達菓子・柴田家の菓子店

Dscf2494


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