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2014年10月17日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 153

 碁石茶街道を行く(1)

 昨年6月頃、100%発酵の不思議な茶・碁石茶が、高知県大豊町で製造されていることを簡単に紹介した。
 江戸時代には、土佐の山間部のあちこちで産出された山茶や碁石茶が、四国山地を越えて盛んに移出されたこと。瀬戸内地方・島嶼部など塩分を含んだ水を利用している人々にとって、茶粥を炊くのに欠かせない話を少しばかり紹介した。
 最近、地元の新聞社のミニコミ紙(タウン紙)から、その足跡を訪ねる取材に同行するよう依頼を受けた。
 碁石茶については、かなり前から取材をして文章化もしている。平成元年『幻の土佐銘茶・碁石茶』(大豊史談20号)。また、文化庁からの依頼で、『参勤交代北山道』としてもまとめている。
 いま、取材した折のノートを取り出して、碁石茶についてどこにポイントをおいて取材すべきか、検討中である。
 私が、勝手に「碁石茶街道」と名付けた道を少しばかり紹介しておく。
 本来は、大豊町の生産地や藩主が宿泊した国の重要文化財になっている立川御殿から始めるべきである。が、高速道路を利用するために今回は訪ねない。

 高知市から高速道で、北上すると愛媛県との県境にある笹ヶ峰(1,860m)の直下の長いトンネルを抜ける。
 かつての参勤交代路は、山上の峠道であって、何度か苦労して歩いたことを思い出す。
 トンネルを抜けすぐに、馬立SAエリアがある。この「馬立」という地名があるのは、なぜか? それを理解するには、近くの集落「馬立」へ行かねばならない。そこには、四国中央市新宮町の公園になっている。そこの高台に、土佐藩主が宿泊したり、休憩した「馬立本陣跡」を示す御門が保存されている。そこからは、馬立の集落が広がっている光景が眺められる。ここでは、藩主に付き添って1,000人余が民泊したのである。
 また、土佐から山越えで運ばれた沢山の碁石茶の集荷場でもあった。そして、川之江方面からやって来た馬が集まり、朝になるとその馬の背に、碁石茶の袋を乗せ山道を下るのである。
 馬を立てる場所からその集落名がついたという。
 高速道が開通以前から、この集落の石川満氏から、その賑わいぶりを聞いたものである。

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