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2014年9月26日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 150

 以前、高知市旭町出身の川田龍吉(1856~1951)が、父の意向で造船工学や船舶機械に精通した技術を習得するためにイギリス・グラスコー大学へ留学したことを紹介した。

 私にとっては、スコットランドやアイルランドは遠い国の話であるが、高知新聞(9月20日付)を読み、民族・経済の問題が絡んでいるようである。
 文化的にもいろいろあり、私たちに親しみ深いスコットランド民謡、民族衣装、音楽などなじみ深い。
 15〜17世紀頃、北アイルランドの土地は、イングランドに住んでいる地主が所有していた。アイルランドの人々は、借地で輸出用の作物や家畜を育てていた。その片隅で自分たちの食料としてジャガイモを育てた。
 15年後半、ヨーロッパが凶作に見舞われた頃、フランスやドイツでも凶作に見舞われた。救荒食品として政府がいろいろの秘策を用いて、ジャガイモの普及に努めた。19世紀末頃、飢饉は収束した。
 
 川田龍吉は、父・小一郎(後の日銀総裁・当時は岩崎弥太郎の補佐役)の配慮でイギリス・グラスゴー大学へ留学する。技術者として、技術証明書をもらって帰国する。が、彼はその地で敬虔なクリスチャン・Jeanie Eadieと交際をはじめていた。。
 が、思いを断ち切って帰国する。
 「夜分の事であるが、大きな車をひきながら、ホキーポキーホキーポキーといふて売っていたから、買ふて見た。それがジャガ薯の焼いたもので…皮つきのままでなかなかおいしかった。」と、自身書き残している。恋の味でもあったろう。
 大正期の凶作〜戦中・戦後の食糧難の時代、恩恵を受けたこの薯とそれを導入し、栽培して普及のきっかけをつくった川田男爵に感謝・敬愛の念を込めて記念碑を建てた。
 高知県など西日本では、そこに、サツマイモやカボチャが入る。

 晩年、龍吉はキリスト教に入信し十字架を戴いた農場上の墓碑の下に眠っている。初恋のJeanie Eadieのことが忘れられなかったかも?

 近年、いろいろの改良品種のジャガイモが口に入るようになった。今年、販売される「インカの目覚め」を注文した。カタログによると、サツマイモのような黄色い色をしている。楽しみである

 
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