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2014年8月15日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 144 

 
  「天災は忘れた頃にやって来る」

 雨は、8月1日から降り始めた。台風12号の雨は、高知県を直撃した。それに被さるように、11号がやって来て高知県は大きな被害を受けた。

 『高知新聞』4日付の記事によると、「県内で記録的大雨」、「日曜日の朝 不意の濁水、高知市紅水川が越流、住宅商店街水浸し」とか「いの町で200棟以上浸水」や「高知市全域に避難勧告」等報道された。
 この大雨は「雨量歴代災禍に次ぐもの」との表題が付けられているように、その激しさが理解できよう。
 そこへ10日には、県東部に11号が上陸した。大豊町やいの町・日高村・四万十町など高知県のほぼ全域に大きな被害をもたらした。
 隣町のいの町枝川地区では、4日付の記事によると、〈新放水路枝川守り切れず、水門閉鎖雨脚強まる〉との状態で、国道ルートが湖になってしまった。仁淀川を渡り、対岸の国道も同様の広範囲で浸水被害を受けた。
 仁淀川の河川敷も満水で、大きな木の先端が僅かに見えている状態だった。

この度の台風の災害から思い出したことがある。
 昭和51年(1976)の17号台風で、高知市の市街地の大半が浸水被害を受けた。当時の坂本市長が夜半ラジオを通じて「自分の身は自分で守って下さい」との異例の非常事態の避難勧告を公布した。この時の記録は、『戦後50年・高知』(高知新聞社刊)によると、〈死者・行方不明9人、住家全半壊42戸、床上・床下浸水1万4,800戸(略)高知市の雨量1,305ミリの記録〉である。
 
 今回は、高知市の避難勧告は2日間続いた。が、1日から10日早朝まで、雨が降り続いた。その間の総雨量は、新記録樹立という悍ましい結果となった。
 我が家でも、書庫の1部に被害を受けた。次男がせっせと水の排水作業をやってくれて、被害を最小に押さえることができた。業者の修理は、天気待ち、順番待ち。

 隣町のいの町枝川地区では、4日付の記事によると、〈新放水路枝川守り切れず、水門閉鎖雨脚強まる〉との状態で、国道ルートが湖になってしまった。仁淀川を渡り、対岸の国道も同様の広範囲で浸水被害を受けた。
 仁淀川の河川敷も満水で、大きな木の先端が僅かに見えている状態だった。
隣町のいの町枝川地区では、4日付の記事によると、〈新放水路枝川守り切れず、水門閉鎖雨脚強まる〉との状態で、国道ルートが湖になってしまった。仁淀川を渡った、対岸の国道も同様の広範囲で浸水被害を受けた。
 「ノアの箱舟」の話を思い出した。この度の水害は、人を選ばず皆平等にバケツの水がぶち撒かれた。 
 鳩がオリーブの葉をくわえて船に戻って来る日が待たれる。

 高知市小津町の寺田寅彦邸の門前に、植物学者牧野富太郎筆の碑がある。ここ10年程、台風の直撃が無かった。寅彦の言葉を思い出すことも必要だ。


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