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2014年7月11日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 139


 ジョン万と龍馬・弥太郎を結ぶもの

 6月の高知新聞社文化教室で、幕末に活躍したジョン万(中浜万次郎)と、坂本龍馬そして岩崎弥太郎を結ぶものは、何かというテーマで話をした。
 漂流者・ジョン万は、偶然に世界の海で捕鯨船での活躍。10年ぶりに、帰国した。
 彼の漂流記『漂巽記略』などが、坂本龍馬等に、大きな影響を与えたことはよく知られている。彼は太平洋に大きな橋を架けるべく、高知城下の九反田の開成館に出入りし、土佐の近代化を図ることに貢献する。
 そして、江戸幕府の旗本にまで出世する。その折、家紋が必要となる。オリオン座の3つ星を家紋とし、紋服に付けている。
 彼の一代記をまとめながら、最期まで「海の男」として太平洋で活躍したかった思いを感じた。その思いが「3つ星」の紋に象徴されているようである。
 
 坂本龍馬といえば脱藩浪人でありながら、江戸幕府海軍方の勝海舟の下で、塾頭を勤める。後に、薩摩の西郷隆盛や長州の高杉晋作等と知りあう。西郷の支援で亀山社中を組織したり、晋作とは長州のユニオン号で幕府の艦船と海戦までやってのけた海の男であった。
 さらに龍馬は、土佐藩の別動隊である海援隊を設けている。
 このように見てくると、海上で正確に船を動かすためには、星座の観測が必要であることは言うまでもない。
 なお、龍馬が江戸で剣術修行したのは、北辰一刀流の千葉道場である。
この流派は、北斗七星に通じている。

 三菱の創始者・岩崎弥太郎は、少年時代、生家近くの妙見山によく登ったという。頂上から太平洋を眺め、世の中に大きく羽ばたくことを決意した、と言う。
 彼の生家の庭には、日本列島をかたどって布石されている。天下に雄飛しようとする、彼の大望を現している。
 後に、江戸へ学問修行に出る折、妙見山に登り、頂上近くの星神社の壁に、「後日英名ヲ天下ニ轟カレザレバ再ビ帰リテ此ノ山ニ登ラジ」と、墨書している。
 三人とも妙見(星)信仰につながっている。
 三人のつながる話の本質は、奥深いものがある。次回は「龍馬的商法から学ぶもの」というテーマで話したいと考えている。

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