« 広谷喜十郎の歴史散歩 136 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 138 »

2014年6月27日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 137

  山茶フォーラムに参加

 6月22日に開催された「山茶フォーラム」に、講師の1人として参加した。
 この地で山茶づくりに専念している国友商事(国友昭香社長)の呼び掛けによるものである。
 翌日の「高知新聞」で、〈研究者らがルーツや歴史を解説、集まった約100人が山茶に関わる食文化について理解を深めた〉と報道された。県外からの参加もあり、小さな集落の会合にも関わらず大成功であった。
 日本における山茶研究の代表的存在である山下智氏(豊茗会会長)の「茶の原産地から見た四国のヤマチャについて」は、〈約30年間に及ぶ中国などの調査を踏まえ、山茶が日本に伝来したルートについて解説。「雲南省やベトナム、ラオスなどが茶の原産地」とし、中国山間部の少数民族・ヤオ族が漢民族に追われる過程で南方に広がった、との説を紹介した〉(高知新聞)と言う極めて興味をそそられる話であった。
 山下氏の著書は『日本の茶』、『茶の博物誌』、『茶の百科』等20冊余刊行されている。そのうちの数冊は読んだ記憶がある。なかでも愛知大学総合研究所編の『ヤマチャの研究』(岩田書院)では、大きな刺激を受けた。
 また、全国的にヤマチャの調査訪問地を一覧表にまとめたものが有り、高知県では大豊村、物部村、仁淀村に足を運び調査している。
 今回の会合で、松下氏とは一日中、機会あるごとにお話をすることが出来、ありがたい一日であった。
 私は「土佐の山茶の歴史」と題し、中世から近世を中心とした高知県の山茶の歴史を少しばかり話した。文保2年(1318)に、土佐に来国した高僧・夢窓疎石が吸江庵に住んだことから始まる。さらに、吾北の上八川郷の土地は、吸江庵に寄進され寺領となる。『長宗我部地検帳』の「吾川郡小川村」の条に、「茶園有」とある。なお、この小川村はこの度の会合が催された場所である。
 その後、野中兼山の茶栽培の奨励もあり、吾北地区の樅の木山と清水村の茶が伊予へ移出されるまでになった、ことなどを紹介した。
 参加者には、和ハーブを使ったランチや野草などの天ぷらが振る舞われ、好評であった。

Dscf2358


Cimg1447


« 広谷喜十郎の歴史散歩 136 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 138 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/583888/59873901

この記事へのトラックバック一覧です: 広谷喜十郎の歴史散歩 137:

« 広谷喜十郎の歴史散歩 136 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 138 »