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2014年6月13日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 135


  春野地区の伊勢神社

 先日、アジサイが咲き乱れている春野地区の六条八幡宮の直ぐ近くの伊勢神社をも訪ねた。
 大きな神社ではないが、入口の鳥居の扁額には、大きな文字でしっかりと「伊勢大神宮」と彫記されている。それが、きわめて印象的であった。
 『高知県史・古代中世編』では、高知市春野町に「国史見在社」の伊勢神社が認められることから、土佐における伊勢信仰は、古代から始まった、とある。また同書には〈中世初期に、武士・地侍が主体であったものが、後期になると一般の農民の参宮も行われるようになった〉とある。やがて、庶民も数多くの人が直接伊勢まで参宮に出かけるようになった。
 江戸時代には、全国的に伊勢への「おかげ参り」が行われた。宝永2年(1705)には、362万人の参詣者がいたという。当時の全国の人口は、約三千万人というから、いかに多くの人々が参宮に行ったのか、容易に理解できる。歌舞伎でも「伊勢音頭恋寝刃」という外題の作品がある。
 坂本龍馬の先祖にあたる才谷屋日記には、伊勢参宮の様子が記録されている。享保14年(1729)3月に参宮している。4月2日に伊勢を出発し、大坂で24日には〈今度西土イリ来る象見物仕〉とあるように、西洋から日本へ送られて来た象を見物している。
 おそらく、土佐人が初めて見た象であろうか。

 後代、竹内荘一著『鎮守の森は今』の春野町「伊勢神社」の条に、〈昔、農民平助なる者が伊勢神宮に参拝し、玉串を奉戴して帰り、これを祭りはじめたとされる〉とある。単独に伊勢神社があるのは、極めて珍しい。
 昨年、20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮が行われた。今上陛下の長女・黒田清子さまが、臨時祭主を務められた。
 『高知新聞』12月20日付の記事に、〈今年の参拝客数は(略)初めて1千万人を超え、江戸時代の参拝ブーム「おかげ参り」さながらの空前のにぎわいが続いている〉とある。
 この現象について、百五銀行の経済研究所の津谷昭彦氏は、〈不景気や東日本大震災など暗い出来事が続き、パワースポットとされる場所に心のよりどころを求めた人が多いのではないか〉と述べている。

 私も十数年前に、お伊勢さんにお参りしました。其処から近くの猿田彦神社、足を伸ばして双見ガ浦の夫婦岩等を訪ねた。これらをセットにして考えると、お伊勢さんの本質が見えたような気がした。

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