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2014年5月 9日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 129

 土佐佐賀のカツオのぼり

 4月27日付『高知新聞』に、「カツオのぼり青空舞う」、「黒潮町・伊与木川 恒例の川渡し」の表題の記事があった。〈カツオのまちをアピールしようと、坂折(さこり)地区の住民が毎年実施。今年はカツオ昇り86匹、こいのぼり34匹を計6列のワイヤーにくくり付けた。周囲の堤防や橋などにも紙のこいのぼり約80匹を飾り〉付けたと紹介されていた。
 この場所は、〈国道56号沿いの道の駅「なぶら土佐佐賀」の近くで、道の駅を訪れた観光客も散策〉。そして東京からの人は、〈車から見てきれいだったので寄りました。近くで見たら、カツオでびっくり。さすが本場と満喫し〉たという。この辺りでは、大きなフラフも上げられている。
 「なぶら」とは、漁師言葉で「魚群」を意味する。

 1998年春、『土佐のカツオ漁業史』(中土佐町刊)を書くために、鹿児島県枕崎市へ取材に行った。祭の時期でもないのに、港近くの市街地に、カツオのぼりが立ち並んでいた。高知でも「カツオのぼり」をと、思ったものである。
 
 平成18年度の総務省の調査「カツオの世帯あたり年間購入額」によると、高知市が9,253円で第1位。次いで盛岡市が4,448円、水戸市が3,732円となっている。全国平均は1,696円である。高知市民は、なんと全国平均の5.5倍ものカツオを食べていたことになる。
 土佐清水市の宗田節は、うどんやそばの出汁に使用されている。これは、日本全体の生産額の約8割を占めている。

 カツオ節は、中世の武士の間では戦場の携行食品の利用されていた。勝男武士(カツオブシ)と言われ、戦場での勝利を祝う縁起めでたい魚として祝宴の席に供えられる習いになった。
 この考えは古代からもあり、朝廷における祭事、伊勢神宮など神社の神饌としても用いられていた。

 宮下章著『鰹魚』では、〈神の魚と見なされたのは、年々一定の季節に一定の方角から現れ、人々に大きな幸をもたらして(略)古代人の目には神霊の宿る魚として映じていたに他ならない〉と述べられている。
 縁起物として、現在でも婚約の結納品の1つとして利用されている。
 カツオ幟群を見下ろす高台にある天満宮の入口の掲示板には、〈住民の信仰は厚く、航海の安全、大漁豊作、商売繁盛、交通安全等を祈願して多くの人々に崇拝されています〉とある。秋祭りには種々の踊りが奉納され、豊漁豊作の感謝を神に捧げるとのことである。

 5月中旬、中土佐町では「カツオ祭り」があり、例年多くの人々を集めている。

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