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2014年5月 2日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 128

 星の狩人・片岡秀峰

 先頃、高知県津野山方面を訪ねた。この道筋に、星の狩人として活躍した片岡秀峰(直次郎)のことを思い出して立ち寄ってみた。妙見(星)信仰や七夕信仰についても調べているから。
 津野山街道の入口にあたる場所で、現在は津野町(旧葉山村)の庁舎である。彼が製作した「地平日畧」という、水平日時計と星を観測した渾天儀をおいた礎石が一部現存している。役場前に、その礎石と渾天儀の復元模型が置かれている。

 谷秦山は、高知城下の緯度を33度と測定し、土佐学問の祖と称された。片岡秀峰は、秦山の長男・谷垣守の下で学んだ川谷薊山について天文学や暦学を学んだ。
 彼は、数学の才にも恵まれ、後に関西方面に出る。当時第一級の天文学者・麻田剛立に学ぶ。
 帰郷し、自宅近くに天体観測所を設ける。大型の渾天儀・圭表・象限儀などを設置した。更に、西北にある鎮ヶ森(約200m)の山上に測点台を設け、惑星運行・日月食などの天体観測を行った。

 安永7年(1787)麻田剛立は、〈皆既金環日食が8年後の1月1日に日本全土で見られる〉と、発表した。秀峰も全く同じ計算をしていたので、麻田は非常に驚いたという。
 だが、秀峰は2年後の天明元年に、35歳の若さで逝去した。予測した日食を確認することが出来なかった。もちろん、彼の予言の通り皆既日食があったことは言うまでもない。

 この秀峰の一族には、幕末の勤王家・片岡孫五郎、明治大正期に政財界で活躍した片岡直温がいる。役場近くに、旧片岡邸と郷土館がある。
 秀峰が天文観測をした背後の山々には、約4キロにわたる「風の里公園」が設けられ、電機会社の巨大な風車群が回っている。
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