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2014年4月25日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 127

 34番札所の種間寺

 南国土佐では、4月も半ば過ぎになると、花見気分を一掃するように初夏になる。高知市郊外の農村地帯では、田植えも終わり、鯉のぼりや立て幟がはためいている。遍路姿の人々も見られるようになった。(フラフは、高知市東部以東ではよく見られる。)
 春野町にある四国霊場・34番札所を訪ねてみた。
 岡本桂典ほか著『四国八十八ヵ所花遍路』(新潮社)に、〈本尊は薬師如来で、寺は平野の中に建つが、かつては海が隣接していたと考えられ、奥の院も浜辺にあったようである〉という。
 また、『遍路の旅(15)』(講談社)に、この寺の御詠歌〈よのなかに、まけるごとくのたねまでら、ふかきによらいの、だいひなりけり〉とあるように、弘法〈大師は、唐から持ち帰った五穀の種を持参しており、この地が肥沃になるように願い、手にしていた種をここに蒔いたとされる。「種間寺」の寺号の由緒である〉と説明されている。
 『高知県の指定文化財』(高知県教委)によると〈浪速四天王寺創建にたずさわった百済の工人たちが、帰国の途中難破してこの地に漂着、薬師仏を作って本寺を開いたと伝えられる。もちろん現本尊と関係はない〉とある。
 現在の本尊(国重文)は平安時代の作と考えられている。境内の大師堂近くに赤児を抱いた「子育て観音像」が建っている。その堂内に、底のない柄杓がたくさん掛けられている。寺の本尊は「安産祈願のお薬師さん」として信仰される。底を抜くのは、「よく通じる」というおまじないであると言う。

 寺内には、子育て祈願のために奉納された小さな石仏地蔵も並んでいる。
 寺の入口の鐘楼の鐘は、自由についてよいと言うことで、my孫が元気に育つようにと気持を込めて撞いた。
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