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2014年4月18日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 126

  遍路札所の青龍寺

 121号・丹生神社の項で四国遍路36番札所・青龍寺に触れたが、これにもう少し、付け加えておきたい。
 岡本桂典・他著『四国八十八ヵ所花遍路』(新潮社)のなかで〈宇佐の横浪半島の先端にある独鈷山青龍寺である。入唐された弘法大師に真言の秘法を授けた恵果和上の青龍寺と同じ寺名である。本尊は不動明王。海で働く人の信仰の厚い寺で、奥の院は海岸近くにあり、海の修行地ではないかと考えられる〉とある。
 この寺院がなぜ「独鈷山」であるか? 橋詰延寿著『横浪三里』で、空海は中国・長安の青龍寺で修行した後〈大同元年(806)帰朝した。(略)師恩に報いるため、青龍寺を日本に移し、寺堂を建てようと計画せられ(略)中国から東天に向かって独鈷杵を投げた(略)落ちたのが、いまの龍の奥の院近くの松の木である〉と伝えている。
 そこで、空海は弘仁年間(810~23)に、この地に寺院を建立されたと言う。

 この寺院にゆかりの人物に、最近までの日本の大相撲界でやんちゃな行動をとり、話題を提供していた「横綱・朝青龍」がいる。彼は、モンゴルからこの地の明徳高校への留学生で、この寺院を訪れ、寺のきつい石段を上り下りして訓練をしたという。そこで、寺名から頂いて四股名を付けたと言う。

 浦ノ内湾は、湾入した約三里の静かな内海で、古くから「横浪三里」と呼ばれている。数多くの史跡があることでも知られる。
 この湾の最奥部に、土佐の宮島とも言われる鳴無(おとなし)神社がある。この神社は、土佐の大神を祀る土佐神社との間に「石つぶて」伝承で繋がっている。この縁により、以前は土佐神社の志那禰祭の時、御神幸の船が浦戸湾から浦ノ内湾まで行き、「御船遊び」の行幸を行っていたと言う。
 神社の対岸には、金環出土の灰方古墳があり、海の豪族がいたことを示している。この辺に古代村落の「海部郷」があったとする説が有力である。
 
 この湾の入口に、四国霊場の青龍寺があり、海の守護仏の波切り不動が本尊として祀られている。寺の近くに、遍路のための温泉宿があり、ここにも不動明王が祀られている。

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