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2014年3月28日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 123

 
   愛媛・別子銅山と川田小一郎

 先日、愛媛県新居浜市の別子銅山跡にある「マイントピア別子」を訪ねた。
 この銅山は、江戸中期の元禄4年に開発された。住友(東屋)が経営し、幕府の保護の元で、日本三大鉱山の一つになるまで発展した。
 明治元年になると、大きな転機を迎えた。当時、土佐軍は近くの川之江へまで進出して来た。明治政府は、この鉱山を直轄地にすべく、接収を命じた。
 この政変の折、土佐軍の一隊を率いて銅山の接収にあたった人物が、高知市旭地区出身の川田小一郎である。
 小一郎は、住友家の鉱山差配役の広瀬宰平から陳情を受ける。早速、〈全山の施業を視察し、国家の為いよいよ斯業の忽ちにし得ないことを知る同時に、住友家多年の営為が別子をしてよくここまでに発達を遂げしめた所為を了解し(略)銅荷および食料米等の諸物資は、山方へ運送するも苦しからずと、寛大なる取扱ひ方指示し、また米の回漕方に就きても臨機の指令を与へ、元締・役頭等にも山内の動揺を防がしめた〉(『別子開坑二百五十年史話』)と、あるように、4,000人にも及ぶ坑夫たちにも給米を送り、動揺を抑えながら、住友家の永年にわたる鉱山経営の努力に理解を示した。
 さらに、小一郎は宰平を随伴させて大坂に赴き、住友家が鉱山経営の継続ができるようにと、新政府から許可を得ることに尽力した。
 このような小一郎の厚意に対し、住友家は深く感謝していた。後年、この銅山から産出していた銅でもって銅像を造り、それを贈り感謝の意を表した。
 別子銅山跡の麓にある広瀬歴史記念館にも、小一郎に関する資料がいくつか展示されている。

 その後、小一郎は岩崎弥太郎と知り合う。彼の片腕となり、三菱商会が発展するための基礎づくりを行っている。
 さらに、明治22年に三代目の日本銀行総裁に就任する。
なお、121号「ジャガイモの話」で紹介した川田龍吉は、小一郎の長男である。
 
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