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2014年3月21日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 122

    宇佐の丹生神社

 高知県土佐市宇佐地区、浦ノ内湾入り口の大橋を渡ると、
橋元に丹生神社が鎮座している。
 『高知県神社明細帳』に、〈井ノ尻浦の氏宮也、弘法大師勧請之由伝、但 弘法之青龍寺開基之節 井ノ尻へ八人衆残置之候由、今以八人衆ノ子孫相続也、同所之渡守モ其砌残置之相続テ渡守勤之〉と記述されている。
 近藤喜博氏の著書『四国遍路研究』によると、〈その海辺は赤浜とも呼ばれていた。名の如く、この浜一帯の赤色は長期に及ぶ朱砂堆積があったからによる〉といわれている。
 また、松田寿雄著『丹生の研究』(早稲田大学出版部)でも、近くの36番札所・青龍寺の奥の院付近から朱(水銀)が検出された、との報告している。
 松田氏は、赤色の原料には水銀系(朱砂、硫化水銀)があり、その産地に「丹生(にゅう)」という地名や神社名が残るという。そして、井ノ尻八人衆に触れ、丹生神社に奉仕し、舟渡しの特権を与えられていた彼らも朱の採掘に参加していた可能性が高いと、述べている。

 平成6年春、和歌山県・高野山の中腹にある丹生都比売神社を訪ねたことを思い出した。入口に、大きな朱塗りの太鼓橋があり、橋を上ると鮮やかな朱塗りの楼門・神社、それぞれ4社が眼に入った。別天地に、足を踏み入れたような気がした。
 『和歌山県の歴史散歩』(山川出版社)に、〈空海が白黒の犬を連れた猟師に高野山に案内され、丹生都比売から高野山の地を譲られたとする伝承がある。実はこの猟師は丹生の神の子供になる神で、高野明神(狩場明神)といわれる〉との伝承を記している。
 この伝承が物語るように、朱の採掘集団の丹生一族が真言系の寺院と深く結びついて、全国的に拡がって行く。
 その1つが宇佐の「丹生神社」であると言える。
 本年は、弘法大師の四国廻国1,200年を迎え、秘仏の公開などの催しが予定されている。
 お水取りも終わり、桜の開花も始まった。温かくなった土佐路の札所を遍路姿の人々が参拝する様子が目立つようになっている。

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小生、大阪府堺市に住んでおります。日本地図学会、地球電磁気地球惑星圏学会、日本地球惑星科学連合等の会員です。
日頃は京都大学地磁気世界資料解析センターニュースに投稿しながら上記他学会で発表中です。

伊能忠敬の磁針測量方位角記録帳の国宝山島方位記67巻の内容解析を1999年からいたしております。 山島方位記二十二 に記録の測量実施地点の高知の北山街道一印と二印の文理融合解析をしました。京都大学地磁気世界資料解析センターニュースで
記録内容は測量対象の山々の名、各山への磁針測量方位角0°95′単位、測量実施地点は北山海道一印、二印といった内容です。
伊能大図、河田小龍の地図、明治40年の測量図、広谷様の土佐史談等の論文を参考としながら、景観再現ソフトも使用し、測量対象の山の緯度経度秒単位、測量当日の測量実施地点での地磁気の偏角そして測量実施地点詳細位置を緯度経度秒単位以下2位迄絞り込む計算をしております。
測量データの内容にもよりますが、町や村では伊能忠敬の測量実施地点が足元の5m四角の中程度に判明することを目標としています。 海岸や田舎等では15m以内程度です。
この解析方法は小生の発明で長年の試行錯誤による改善をしてコンピューター技師面谷明俊氏の協力でエクセル化しました。日ごろは京都大学地磁気世界資料解析センターニュースで解析結果の中から各地の伊能測量当日の地磁気偏角を発表しております。 インターネットの同ニュースをご覧ください。 市販の一般書では紹介されておりません。
北山街道一印は山田橋北詰めの東側の横断歩道の信号付近の緯度経度でここが東の丑之助に向かって曲がる地点との結果になりました。北緯33度33分51.11秒東経133度32分46.52秒

北山街道二印は丑ノ助から北上して土佐病院の東側の道になり、そのまま市営比島団地の敷地建物を南から北へ横断して今は無い旧瓢箪川沿いに南西の江ノ口から北東の比島方向へ久万川を渡って薊野方向へ行く道に比島3丁目10番地で合流しております。合流地点は緯度経度秒単位以下2位の逆算でもとめました。
北緯33度34分16.3秒 東経133度32分53.8秒
住宅地図と現地確認では個人宅のガレージで、和紙公図等の里道、地籍測量図゛では接道部分の内4.53mとその東塀の東1.01m合計5.54mが里道廃止に該当します。同地点緯度経度GPS測定でその路肩のL型側溝を官民境界とするとそこから1.5m程公道の中の位置に測量器を立てたことになると判断しております。

この区間は土佐史談でも確か記述かなかった様に思いますが度なる土地区画整理や団地開発
で消えていく中で比島三丁目の測量実施地点は範囲から外れ公道廃止による払下げが確認でき、過去の道がよみがえってきました。
高知の方々にはこんなことは当たり前のことなのかもしれません。

高知市の北山街道をたどるイベントコースは土佐病院の南の方で現在の国道を通過しておりましたので問いあわせしましたが回答なしでした。
この区間や地点は山崎闇斎、谷秦山、谷干城、坂本龍馬、中江兆民、板垣退助、牧野富太郎も通ったのではないかと思います。 

参勤交代北山街道はもしかしてそのまま西へいった江ノ口経由でしようか。それとも山田橋、丑之助、瓢箪、軽油比島でしょうか。

ご教示賜りますれば幸甚です。
                                                 辻本元博

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