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2014年2月14日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 117

  神の川・仁淀川

 奈良時代に、中央政府が編集した『風土記』(713年)によると〈土左の国の(略)神河、三輪川と訓む、源は北の山より出でて、伊輿の国に届る。水清し、故大神の為に酒醸むに、此の河の水を用ゐる。故河の名と為す〉とある。
 古代に於いては土佐の仁淀川は神河と言われ、土佐の大神(一宮の土佐神社)に捧げる酒を造るために、この川の水を用いたとある。
 何故、この神の川を三輪川と呼んだかと言うと、奈良の三輪山は、酒の神を祀る神山として広く知られている。
 この仁淀川沿岸にあるいの町の椙本神社の縁起によると、〈大和の国三輪から神像を奉じ(略)吉野川を遡り、伊予国東川の山中に至り、その後、仁淀川洪水の時に河畔に流着したのを加治屋谷に斎き祀った〉という。その後の元慶年間(880年代)に現在地に移ったという。
 古代の河川漁業の花形は、鮎漁であった。それは、中央政府への貢租品の中でも重要な役割を果たしていたからである。この鮎漁の中心的な漁場は、仁淀川だったといわれている。其処から、「神河」がやがて「贄殿川」と呼ばれるようになったという。贄殿とは、中央政府の台所を意味する言葉である。そこへ納める鮎は、この川から多く納めるようになったと、『南路志』に伝えられている。
 江戸時代になっても、この名が使用されていた。そして、「にえどの川」が現在の仁淀川と呼ばれるようになった。
 2月16日には、椙本神社では春の大祭が行われる。

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