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2013年12月27日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 110

 下見吉十郎の芋地蔵

 「しまなみ海道」の大三島でもう1ヶ所再確認したい場所があった。
 以前、『芋地蔵巡礼』(国書刊行会)の著者・木村三千人氏と神社近くの道の駅・御島で会うことが出来た。
 芋地蔵とは、下見吉十郎なる人物が九州の薩摩からもたらした種芋で数多くの人々を飢えから救った恩人として供養して祀ったものである。再度、大山祇人社近くの大通寺境内にある芋地蔵像を訪ねてみた。高さ93cm、横幅38cmの石像で、正面上部にはサツマイモを持つ地蔵が彫られ、像の下部と側面には「芋地蔵 古岩独釣居士 瀬戸吉十郎」、「嘉永3戌年8月朔日」、「宝暦5乙亥年」と刻記されている。瀬戸とは、吉十郎の出身地の瀬戸村のことである。木村氏の説明によると、吉十郎が亡くなったのは、宝暦5年(1755)のことで、吉十郎没後95年にあたる嘉永3年(1850)に芋地蔵の碑が建立された。
 木村氏の調査によると、嘉永3年から始まり、没後100年前後の明治19年までに集中していて、12箇所確認しているということであった。さらに、文久2年以降には、広島県にも広まって行くという。合計30箇所にも及ぶ。木村氏とお会いした時、大三島町の吉十郎の墓のある円雲寺にも案内された。墓碑もサツマイモを抱くような姿になっていた。そして、墓の入口には、吉十郎の回国僧の銅像が建立されていた。
 今回、大通寺の和尚さんにお会いした。毎年10月の命日には、町内の寺院や地元民による供養祭を行っていると言う話をお聞きした。
 サツマイモ伝来の歴史に興味を持っていたので、鹿児島県を訪ねた折、この地にサツマイモを普及させた功労者・前田利左衛門が「玉蔓御食持命保食神」の名で祀られている徳光神社を訪ねた。
 北海道など北日本では、明治初期に、高知市旭地区出身の川田龍吉(男爵)がジャガイモの種芋を海外から取り寄せ、人々の飢えを救った。「男爵いも」の名で広く流通している。
 
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