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2013年12月12日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩108 

 四国の水瓶・早明浦ダム

 紅葉真っ盛りの11月中旬、西日本一の貯水量の早明浦ダムを訪ねた。どちらを向いても錦秋、針葉樹林の緑が色を引き締めている。
 この地は、春のサクラ、初夏はアジサイ、スポーツフィッシングも楽しめる。年間を通じて数多くの観光客を集めている。その日は、湖畔を巡るマラソン大会が行われていた。
 『高知県百科事典』(高知新聞社刊)の「早明浦ダム」の条によると、〈昭和35年四国地方開発促進法の制定で、建設省の治水計画、農林省の農業用水事業などの調査結果を綜合し〉たもので、〈洪水調節・発電・農業・工業・都市用水の確保をかねた四国最大の多目的ダム〉として開発したものである。
そして、〈ダムは長岡郡本山町吉野と土佐郡土佐町中島で吉野川を横断している堤長450m、標高106mの直立式重力コンクリートダム〉である。〈大きなダムでこの方式は例が少なく(略)有名である。〉この堰堤を、直下から見上げると、その大きさに圧倒されてしまう。                
 だが、このダム建設のため〈上流の土佐郡大川村では主な集落が水没し、多くの耕地を失い、村役場も移転した。水没世帯356、うち大川村158、土佐町154である〉。
 しかも、年間使用水量のうち徳島県へ47・8%、香川県へ28・8%、愛媛県へ18・7%、高知県へは4・5%と、犠牲の割に地元への見返りは少ないという。
 ダム上流の湖岸には、道路などが整備されたものの、大川村の人口は約400人と寂れた。
 車を走らせていると、道路沿いにサルが突然飛び出してきて驚いた。村役場近くに、旧保育所の建物を利用した「村の駅」ともいえる小さな休憩所がる。地元の青年たちが、土・日に開設している。村特産のハチミツや玉緑茶などを販売していた。

 ダムの通水後、一時期吉野川の濁りが問題になった。その頃「本山町史」を執筆中であったから、取材に出かけてみた。地元の小学生が、濁り水の吉野川の絵しか描かないと聞き、唖然としたことを思い出す。
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