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2013年12月 7日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 107

広谷喜十郎の歴史散歩 107  本山の帰全山と野中兼山

 嶺北地方の中心部・本山町の市街地の入口に、吉野川を跨ぐ長い木造橋が架けられている。対岸にある小さい山を帰全山と呼ぶ。一名、雁山ともいう。
 土佐藩重役・野中兼山は、母・秋田氏が没したとき、慶安4年(1651)それまでの火葬をやめ、儒家の礼にもとづき土葬にした場所で知られている。
帰全山の名は、学友の山崎闇齋の「父母全生の、子全而帰之、可調孝矣」(『帰全山記』)から選んだといわれる。この墓は、県の史跡に指定されている。
 兼山は寛文3年(1662)に失脚し、高知城下から追放された。一時期、歴史から埋没していた。延享2年、兼山の本拠地・本山に野中神社が設けられた。
 そして、昭和43年「野中兼山先生銅像建設会」が発足し、募金活動が始まり約一千万円が集まった。翌年11月15日、銅像の除幕式が行われた。像高4m、台座1・5mとなっている。題字の「野中兼山先生」は、総理大臣・佐藤栄作の筆である。

 毎年4〜5月頃に、公園全体にピンク色のシャクナゲの花が咲き、本山の桜も有名で、花見客で賑わう。観光客のためにバスで渡れるように、コンクリート橋が架けられている。
 近くに、ヨーロッパからやって来たシェフが、地元産の嶺北ビーフと地元食材を生かした料理を提供している。
 
 兼山ゆかりの人物と言えば、娘・婉がいる。彼女は罪人の娘として、40年間も宿毛の地に幽閉されていた。その生涯を本山町出身の作家・大原富枝が『婉という女』という評判の高い作品を書いている。その生原稿などを展示している文学館も近くにある。
 
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