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2013年11月 2日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 102

   江戸時代の天気予報

 今夏の高知県は、日照りが続き少雨であった。
 10月になると、台風が次々と発生し、関西以東に大きな被害をもたらした。伊豆大島や京都などに、大きな被害をもたらした。高知県では、大雨のみで恵みの雨の感があった。
 日本一大きい梨を産出する近所の梨農家は、ほっとしていた。
 テレビで天気予報を見ながら、江戸時代にも天気予報士・「日和見師」が居たことを思った。
 彼らは朝早く海岸近くの日和山に登り、天気の前兆である雲がどんな状態にあるか、風の方向や強弱、あるいは空気の湿り具合などを見て、天気の状態を予見していた。日和見をする人は航海経験豊かな船頭等の中から選ばれていた。多くの場合、港の入口近くの小高い丘が日和山として利用された。
 「浦戸湾絵」(高知市民図書館蔵)を見ると、桂浜のかつて浦戸城のあった高台が日和山と明記されている。この地を南波松太郎氏が調査・研究され、城跡の詰めの段(本丸)にある山祇神社が日和山と確認している。早朝に、回船の船頭がここに来て、天気予報していたという。
 明治期には、各種の提灯を用意し、晴雨、風力の合図をふもとの漁村に知らせていたという。
 天気予報の的中率が、5割・月のうち15日も当れば日和見巧者と言われていた。
 民俗学者・吉村淑甫氏が、日和見師・田島家の場合を紹介している。田島治左衛門という人は、7割以上の的中率を示し、藩庁からお褒めの栄誉に浴している。吉村氏は、彼が天文学に秀でていたと、推察している。
 なお、対岸の種崎にも日和山が在ったことは、古図により確認されている。
 或る時、殿様の参勤交代の折、日和見巧者を同伴した。天気予報をさせながら旅を続けたが、さっぱり的中しなかった。家臣が何故当らないか?と尋ねると、雲の動きや風の方向が土地により違うので、判断できない。と答えたと言う。
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