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2013年9月12日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 95

 ライスキング・西原清東

 かつて、福島県議会前に建立されている河野広中の銅像を見に行った。碑文に、「広中は、西の板垣・東の河野といわれる自由民権運動の先覚者」と刻記されていたのが、印象的であった。
 若い日の河野は、戊辰戦争の折に土佐軍に参加していたこともある。明治10年9月には、来高し土佐の民権運動家との交流を深めている。これが縁で、河野の出身地・三春町の正道館に、土佐の立志社から高知市潮江の弘瀬重正と土佐市出間の西原清東が派遣された。2人に各10円ずつの給与を支払っている。それをこの小さな町の人々が負担していた。当時この町の警察所長の給与は10円であった。
 後に、正道館で学んだ青年たちが潮江の高陽社に留学してきた。
 西原清東は、明治19月年には代言人(弁護士)試験に合格し、同23年には県会議員になる。また、キリスト教に入信してもいる。明治31年には、衆議院議員になる。が、翌年には京都の同志社総長に就任している。この同志社総長には、片岡健吉も就任している。
 明治25年には、アメリカに渡る。翌年1月にコネティカット州ハートフォード神学校に入学。11月にヒューストン郊外ウエスタ—に、広大な土地を購入している。後に、米作に成功する。アメリカの小学用教科書に、偉大な日本人として「ライスキング・西原清東」と紹介されるまでになっている。
 彼は昭和14年に74歳で逝去する。清東の没後、テキサスの西原農場は長男の清顕が継ぐが、昭和39年に米作りをやめている。跡地は、いまNASA(アメリカ航空宇宙局)の1部になっている。
 清東の立派な頌徳碑は、土佐市図書館の隣の公園内に建てられている。
Dscf2068


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